素晴らしい音響設計

 前回の文末に記した「私は信者ではない」発言の話は後に回して、先に、京都で開催中の『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』展について書きます。実は、観に行く前は会場に不安を覚えていました。築90年の近代建築。元は銀行の店舗だった趣のある建物ですが、各部屋がやや狭く、天井高も1階以外は十分ではない。展示には不向きだと思っていたのです。

会場の京都中央信用金庫 旧厚生センターは、1930年に不動貯金銀行七条支店として竣工した建物 photo by Ichikawa Yasushi

 ところが、行ってみて驚きました。「Face to Face」と「Light Boxes」が設置された部屋はやはり小さすぎましたが、どの部屋も音響が素晴らしい。交通量の多い大通りに面しているのに、雑音や振動音がほとんど聞こえてこないのです。通路のここかしこに盆栽や水石が置かれていて、それもよかった。ミスマッチかと思いきや、「和」の雰囲気が、背後に静かに流れる音源「The Lighthouse」とよく合っていたからです。

Brian Eno, “Light Boxes,” photo by Juliana Consigli

 「The Ship」と「77 Million Paintings」が展示された2部屋の音響設計は特に見事でした。後者の部屋にはソファが並べられ、上賀茂神社の立砂を小さくしたような小山にスポット照明が当てられています。千変万化する映像が右卍型と十字を組み合わせたような形のモニターに映し出され、同時に心地よい音が生み出される、極上のチルアウト空間と化していました。モニターの形は、イーノ自身が参加したU2の『Zoo TV』ツアーで「Bullet The Blue Sky」が演奏された際に用いられた、白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)の燃える十字架が鉤十字に変わってゆく映像の自己引用でしょう。

Brian Eno, “77 Million Paintings,” photo by Hamada Natsuko

マイケル・ジャクソンとの違い

 新作だという「Face to Face」は、モーフィング技術を用いた映像作品です。3つの縦長モニターに映された3人の人物の顔が、性別、年齢、人種を越えてゆっくりと変化してゆきます。髪の毛やひげが伸びたり縮んだり無くなったり、肌や髪や眉毛や瞳の色が変わったり元に戻ったり……。とはいえ多くの人々は、1991年に公開されたマイケル・ジャクソン「Black or White」のビデオクリップ以来、同様の映像を30年以上も目にしているはず。では、新作のどこが新しいのか?

Brian Eno, “Face to Face,“ photo by So Hasegawa

 展示されている4作品すべてに共通することですが、それは映像や音の組み合わせの無作為性と膨大な数です。作者本人さえ予測できない、質的・量的な変化。その変化の速度は、人間の感覚では分節できないほどに緩慢で、そこが「Black or White」と異なります。

Marcel Duchamp, “Nude Descending a Staircase, No. 2,” 1912

 マルセル・デュシャンは、エティエンヌ=ジュール・マレーやエドワード・マイブリッジの動体記録連続写真を観て、1911年と1912年に「階段を降りる裸体No.1」「同No.2」という連作を描きました。暗い画面の中を、黄土色で描かれたロボットのような人体が不連続に動いているように見える、具象とも抽象ともつかない油絵です。本人は、キュビストたちと同様に「フォルムの分解」と「運動の静的な表現」に挑んだと述べていますが、*1 ある意味でイーノの作品群は、デュシャンの挑戦の延長線上にあります。イーノの場合は「フォルムの分解と融合」、そして「限りなく静的に見える運動の動的な表現」です。

ベケットからの影響

 と同時に、もうひとりの巨匠の名が頭に浮かびます。不条理劇「ゴドーを待ちながら」で知られる、ノーベル賞を受賞した詩人、小説家、劇作家のサミュエル・ベケットです。アイルランドに生まれ、後半生はパリで暮らし、作品は英語とフランス語で書いた文学者。デュシャンとは年齢が離れていましたが、チェスをするなどの交流がありました。

Samuel Beckett 1975, photo by Roger Pic
 

*5

ブライアン・イーノの音と光の展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」(2022年8月21日まで)

※連載「現代アートを読む」は原則月1回掲載です

(脚注)

*1 Marcel Duchamp, “Propos” in “Duchamp du signe,” edited by Michel Sanouillet and Elmer Peterson, 1959/1976, p.166

*2 Samuel Beckett, “Molloy,” 1951. 日本語版は宇野邦一訳『モロイ』。

*3 Gilles Deleuze, “L’épuisé,” 1992. 日本語版は宇野邦一訳『消尽したもの』。

*4 Bill Milkowski, “Brian Eno: Excursions in the Electronic Environment” in “Down Beat 50,” June 1983.

*5 George Heard Hamilton, Richard Hamilton and Charles Mitchell, “BBC: Marcel Duchamp Speaks,” originally recorded in 1959.

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