「京都仁丹樂會」に衝撃

 「すごい!」

 5月初旬。東京で発見された「仁丹」が京都市内に運ばれ、急きょ集まった愛好団体「京都仁丹樂會」の会員たちが1枚を囲んだ。

 「京都仁丹樂會」は、市内に残る「仁丹」の町名表示板をこよなく愛する市民で構成する。元教師や公務員らで2010年に結成した。その歴史を調べるだけでなく、保存も呼び掛ける活動を続けている。

今も京都市内の街角に多く残る「仁丹」の町名表示板

 「奇跡」の1枚は、東京都文京区で見つかった。根津神社に近い木造家屋の外壁に掲げられていた。

 木製で、図柄は退色しているが、文字の一部が残っていた。雨戸の戸袋にほぼ同化した状態で分かりにくいが、「仁丹の町名表示板ではないか」との情報が、京都仁丹樂會に寄せられたのが発見のきっかけだった。東京在住の会員が現地を訪れて確認したところ、最下部に「仁丹」の商標がうっすらと見えて「間違いない」と判断された。

地面に落下、京都で修復に

 後日、京都在住の会員が訪れると表示板が割れて地面に落下していたため、住人と話し合いの上、京都に持ち帰って修復することになり、会員たちが囲んだ。

 京都は今も「仁丹」王国として知られている。

 医薬品会社「森下仁丹」(大阪市)が明治末期から全国の主要都市で設置を始めたとされる「仁丹」の商標付き町名表示板。京都は戦災被害がほとんどなかったため、生き残っていると考えられている。

 京都では当初、木製を設置した後、より耐久性の高い琺瑯製が街中に設けられたとみられ、現在500枚以上確認されている。一方、他都市で琺瑯製は京都ほど多くは見つかっていない。

長い年月、風雨にさらされながら京都で道案内を続ける「仁丹」の町名表示板

 大正期に東京でも多数設置されたことは間違いなさそうだ。

大正期に9万枚設置の記録

 東京都公文書館で大正7~9年に9万枚が東京で設置されたことが、京都仁丹樂會の調査で判明している。ただ、古い写真に写り込んでいる例が確認されたのみで、路上に残る現物は見つかっていなかった。つまり、今回発見された1枚は、今から100年以上前に設置された9万枚のうちの1枚と考えられるのだ。

 それにしても、関東大震災や戦災による被害も激しく、戦後も開発の波にさらされ続ける東京で、木製の1枚がどうやって生き残ることができたのか。

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