中世祇園会 名残のありか

 京都・祇園祭は平安時代からの「神輿渡御」に、南北朝時代以降に「山鉾巡行」が加わり、いまに続く大枠が中世に整った。八坂神社の神輿を御旅所に迎える神幸祭(17日)、御旅所から戻る還幸祭(24日)の先触れとして、町衆による山鉾巡行が両日に催される。3年ぶりに祭礼の2本柱が再開された今夏、往時の名残を探した。

神幸祭の神輿渡御

 ハイライトになる巡行の直前(宵山期間)には、山鉾の装飾品を間近で見られる「会所飾り」が地元の各町で営まれる。ここに並んだご神体や懸装品のうちに、中世の伝世品がちりばめられていた。

鯉山懸装品は重文の舶来品

 重要文化財「鯉山飾毛綴(こいやまかざりけつづれ)」は宵山期間の3日間に限り、鯉山の町会所になる町席で陳列された。ベルギーで日本の中世末期(16世紀)につくられたタペストリーを裁断し、懸装品に仕立てたとされる。保存会によると、「巡行で飾り付けるのは復元品。関係者にとっても実物が見られるのは、この期間中に限られる」(北川和男理事長)

ご神体と重要文化財「鯉山飾毛綴」

 新型コロナウイルス禍に密集を避けるため、厄よけちまきなどの授与所を町席の奥から表へ。すると、懸装品などがずらりと横並びで広角に観覧できるようになった。

 「『額装された絵画みたい』といった声を多くいただいた。コロナ禍の災いを転じ、福とした取り組みとして、これからも本来のこの見せ方を続けたい」(北川氏)

装飾品最古級か 船鉾の神面

 あまたの装飾品において、最古級と目されるのが、船鉾の「神面」。本面が室町時代の文安年間(1444~49年)につくられたとみられ、これを裏付ける花押が裏面にある。会所飾りのうち2日間、ご神体の神功皇后像に取り付けられていた。

会所飾りでご神体に取り付けられた船鉾の神面

 芦刈山のご神体本頭は天文6(1537)年、運慶子孫という七条仏師・康運作の墨書が残る。また、橋弁慶山の牛若丸などのご神体御頭にも永禄6(1563)年の康運の銘があり、巡行でも飾り付けられていた。

 では、そもそも中世の装飾品は、どれほど残っているのか。

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