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景気改善、でも非正規減らず 派遣切り後、パート5年

2008年のリーマン・ショック後に派遣契約を打ち切られた男性(左下)。同じ年、東京では年越し派遣村が注目を集めた=写真はコラージュ
2008年のリーマン・ショック後に派遣契約を打ち切られた男性(左下)。同じ年、東京では年越し派遣村が注目を集めた=写真はコラージュ

 「今年いっぱいで仕事は終わりです」。2008年12月。京都市内の自動車部品工場で働いていた派遣社員の大木昭(48)=仮名=は、派遣会社の担当者から突然告げられた。契約は翌年3月末まであるはず。「補償はあるのですか」。そう尋ねたが、「ありません」と素っ気ない返答。目の前が真っ暗になった。

 工場で働き始めたのは3年前。金属塊を機械に設置し、加工する役割を担当した。膝を痛めるなど身体への負担は大きかったが、派遣先の正社員から「3年頑張れば良いことがあるよ」と聞き、正社員化への淡い期待を抱きながら仕事に励んできた。

 その願いは、08年9月に起きたリーマン・ショックで打ち砕かれた。世界的な景気後退で、自動車需要は激減。工場でも景気の変動に対応すべく、男性ら約10人が雇い止めにされた。

 勤務最終日。居並ぶ正社員を前にあいさつする機会があったが、何もいえなかった。「現場の人間関係は悪くなかった。悔しかったが、向こうの気持ちも分かったから」と振り返る。

 同じ頃、東京では大木と同様に派遣契約を切られた労働者らを支援する「年越し派遣村」が日比谷公園に設けられ、世間の注目を集めた。年末年始の厳しい寒さの中、仕事や住居を失った人ら約500人がボランティアの炊き出しに並び、宿泊場所の提供を受けた。

 「雇用の調整弁」としての非正規労働者。90年代初頭のバブル崩壊で、企業は人件費を抑えるために正社員を減らし、契約社員や派遣社員への置き換えを進めた。国も呼応して1999年に派遣労働を原則自由化した。「派遣切り」は、必然的な成り行きだった。

 大木はその後、労働組合に相談し、09年10月、契約を打ち切られた仲間とともに派遣先工場の経営会社を相手取り、直接雇用を求める訴訟を京都地裁で起こした。だが、会社側は応じず、やむを得ず12年に和解した。

 年越し派遣村以降、国会で非正規労働の問題は重要テーマとなった。12年には労働者派遣法が改正され、規制緩和路線から労働者保護にかじを切った。今年4月、有期契約の労働者が5年を超えて働くと無期契約に移行できる「無期転換ルール」も始まった。

 今年8月下旬の夜。大木は京都市内で、支援を受けた労働組合の幹部らと再会した。産業廃棄物処理会社でのパート勤務が5年に達したため、無期契約への変更を申請したと報告した。「定年まで働けられるようになれば少し前進だが、身分がパートのままでは暮らしはどうなるのか」。大木は複雑な表情を見せた。

 10年前に比べて景気は確かに良くなった。今年3月には、「同一労働同一賃金」などの非正規労働者の待遇改善策を盛り込んだ働き方改革関連法が成立した。雇用環境は改善したように見えるが、非正規労働者はいまだに雇用者全体の4割近い。結婚などの人生設計を見通せない人も多い。

 大木自身も独身だ。「働く気持ちは誰にも負けないが、非正規では子どもを養うのも難しい。東京五輪もいいけれど、格差の解消こそが国が取り組むべきことではないか」=敬称略

    ◇  ◇

 来年5月で幕を下ろす平成は、数々の経済危機が起きた。日本のバブル崩壊、米国発のITバブル-。そしてリーマン・ショックからちょうど10年がたった。過去のバブルの現場にいた京都、滋賀にゆかりの人たちの当時を振り返り、今に続く影響や新たな危機の芽に目を凝らす。

【 2018年09月17日 16時30分 】

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