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京大の被爆者標本、どこへ <持ち去られた被爆者資料>

日本の各大学から持ち去った被爆者の生体試料を基に米軍医だったリーボウらが米病理学会誌に発表した論文(1949年)
日本の各大学から持ち去った被爆者の生体試料を基に米軍医だったリーボウらが米病理学会誌に発表した論文(1949年)

 歴史認識問題は現在もアジアの国際関係を揺さぶる。インターネット上では国境や民族とは何かを巡って悪意と中傷が飛び交い、立場の違う人たちが互いに「フェイク」、偽りだと罵倒し合う。戦争の記憶を巡る報道機関の在り方も批判の対象になっている。戦後73年、当事者の世代が去る中で、歴史資料の重みは増す。かつての帝国大学は、文字通り「帝国」のための大学だった。皇国日本の版図がアジアに広がると、そのために学知が動員された。いや、学問の側が突き進めた面があるかもしれない。京都帝国大医学部・病理学教室の歩みは、世界史的な暗部に深く関わっている。足元の京滋に、どんな資料が放置され、眠っているのか。だが、あるはずの資料にアクセスできない。風化とは違う新たな壁が行く手を阻む。

 元京都南病院長の川合一良医師(87)は京大医学部の学生だった時、病理学各論で天野重安助教授の講義を聴いた。年度の最終講義が原爆症について。戦後5年、まだ占領下。放射能が人体に深刻な影響を与えることは知られていなかった。米国は検閲を敷き、原爆報道を取り締まった。「天野先生は被爆者の組織標本を示し熱心に語られ、感激しました。これはほってはおけない問題だと」

 川合医師ら京大同学会は、天野助教授と物理学教室の木村毅一助教授に、春の文化祭で原爆の実情を一般向けに語ってほしいと頼んだ。「進駐軍ににらまれ、危険だ」。断る2人。そこで天野に「木村先生は引き受けられた」と、木村には「天野先生は引き受けた」と説得。2人は応じた。後で「隠し球」はばれ、川合医師は叱られた。原爆症の講演は反響を呼び、日本初の原爆展京都開催へ、さらに全国へと、反核運動のうねりに育っていく。

 「米軍が全国の大学から被爆者の標本集めをやった時、天野先生だけは頑として応じず、毅然(きぜん)と提出を拒まれたそうです。京大が命がけで集めた貴重な資料を渡すわけにはいかんと」

 米国という「帝国」が、敗戦国に振るった圧倒的な権力。原爆投下から4カ月、広島と長崎の被爆者は人類が初めて経験する未知の「原爆症」に苦しみ、亡くなる人が続く中、日本人の研究発表を制限し、資料を持ち去ってしまう。

 それは医師として、学者として、人道的に耐え難いことだったはずだ。特に京大の原爆調査班は広島を直撃した枕崎台風で医学部教授ら11人が殉職している。

 その標本は反核運動の起点であり、二度とあってはならない世界史的出来事の証言だ。治療法解明を願って解剖に応じた被爆者遺族の思いを込めたものだ。

 天野は1964年没。川合医師は、学生時代に天野の講義で「標本を見た」と証言する。ところが、2008年では、病理学教室出身の名誉教授らが「あの時の標本はどこへ行ってしまったんだろうな」と語っている。

 同僚を失った悲しみの中、天野が守ったはずの被爆者の標本、生体試料は今どこにあるのだろう。

 京大大学院医学研究科付属総合解剖センターに取材した。同センターは人体組織など数千の標本を蓄積、「世界でも類のない規模」を誇る。だが回答は、廃棄したとの記録を含めて「該当資料はない」だった。

 原爆投下から4カ月後、45年12月2日。京大を訪れた米軍医はイエール大学の病理学者アベリル・リーボウという。広島での原爆調査に関する日記を60年代に公刊した。京大で天野と出会った場面はなごやかで、緊迫した交渉場面はない。

 45年12月6日 <再び京都大学へ行って天野博士から骨髄のスライドを受けとり、(中略)血液学一般についてまた長い話をした。彼は私が三浦夫人のために持ってきたせっけんとバターと卵の贈り物に非常に喜んでいるように見えた>

 友好的に、あるいは笑顔でお土産まで添え、被爆者の血液標本や組織標本を渡す東京大、大阪大の医学者たち。日記でリーボウは描く。米軍が持ち去った資料は米陸軍病理学研究所(AFIP)に収められ、軍事機密になった。標本の行方の手がかりはないか、当時を知る関係者を探した。(12回続きの1回目)

【 2018年01月17日 17時30分 】

ニュース写真

  • 日本の各大学から持ち去った被爆者の生体試料を基に米軍医だったリーボウらが米病理学会誌に発表した論文(1949年)
  • 京都大の故天野重安教授
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