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学童疎開

 「夜さみしくて、寝ているうちに涙が出た。朝起きようとしても、乾いた涙で目が開けられなかった」。悪化する戦局に1945年4月、軍都だった舞鶴から、国民学校3~6年の児童が空襲に備えて集団で学童疎開した▼親元を離れ、丹後半島の寺や旅館などで集団生活をした70年前の体験を語る集いが先月、舞鶴市で開かれた。食べ盛りの少年は「野草やカエルなど何でも食べた」。少女は「欲しがりません勝つまでは」と声を出しながら水を運んだ▼疎開は続き、家に帰れたのは10月中旬になってから。「小さな戦争体験」と胸の奥にとどめていた記憶は、聴く者にも重く、つらいものだった▼松本照子さんは母が別れ際に手を離さなかったエピソードを語った。そのときは「困った母だ」と思ったが、「この世の別れかもしれないと思った母の気持ちが、いまは分かる」▼疎開中の7月に、米軍機が舞鶴を襲った。その夜、西口敬子さんは先生に起こされ、妹と舞鶴に戻った。海軍の工場で父が亡くなったと聞いて、ただ涙した▼「夢も大きくはばたけと 空のはるかで父母のこえ」。集いの最後、体験者たちは疎開中に歌った「父母のこえ」を合唱した。戦争は家族を引き裂き、癒やすことができない傷を残した。平和への思いを引き継がねばならない。

[京都新聞 2015年07月05日掲載]

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