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碑文

 大阪市浪速区の大正橋東詰に高さ2メートルの石碑が立つ。江戸末期の1854年に起きた南海トラフ地震・安政地震で大阪は甚大な津波被害を受けた。石碑は被害の実情を伝えるため、地震から半年後に町人の手で建てられた▼水の都、大阪は道頓堀川などの堀が縦横に巡り、船が人や物資を運び、災害時の避難場所にもなった。安政地震は東南海地震の約30時間後に南海地震が起き、相次ぐ揺れにおびえた人々は家財道具とともに船に逃げ込んだ▼「山の如(ごと)き大浪(なみ)」が襲い、堀や川に浮かぶ大小の船を押し流し破壊した。その約150年前(1707年)に起きた宝永地震でも大阪は津波に襲われ、船に避難した多くの人が犠牲になったが、その教訓は伝えられなかった▼碑文は「大地震が起きたときは、絶対に船に乗ってはいけない」と厳しく戒め、教訓を生かせなかった悔恨を強くにじませる▼阪神大震災から21回目の1月17日を迎え、被災地では震災を語り継ぐ決意が示された。記者として、再び東日本大震災のような大災害が起きる事態を想定した報道ができていたかを問い直している▼震災の記憶の風化が懸念され、国や電力会社が原発再稼働へ動きを加速させているが震災はいつの日か必ず起こる。先人が碑文に込めた思いを胸に刻み報道に当たりたい。

[京都新聞 2016年01月18日掲載]

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