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締め切りの効用

 文豪と呼ばれた夏目漱石や島崎藤村から現代の売れっ子作家まで、書き手は原稿の締め切りに追われる。「どうしても書けないんだ」「鉛筆を何本も削ってばかりいる」。言い訳はさまざまだ▼締め切りにまつわる作家90人の随筆や手紙、日記、対談から拾った「〆切(しめきり)本」(左右社)が出版された。予定通り原稿が欲しい編集者と、何かと言い逃れする作家の戦闘記とも読める▼締め切りを守れない作家は、缶詰めにされる。出版社指定のホテルや保養所に半ば監禁して執筆を強制する。5日間の缶詰め生活に入ったコラムニストは夜遊びしながらも書き上げる▼編集者から作家に転じた高田宏さんは、締め切り日を編集者の安全保障のようなものといい、著者にとっては集中力を生み出す仕掛けと表現する。ただ、設定にはさばを読んであるそうだ▼来週にも発表があるノーベル文学賞の有力候補とされる村上春樹さんは、原稿遅れ、悪筆、生意気を編集者泣かせの三大要素と呼ぶ。印刷所の迷惑を考え約束をたがえないのが信条だ▼遅筆の代表は35年前に飛行機事故で亡くなった向田邦子さんだ。週刊誌用の原稿用紙で7枚ほどの原稿も2度か3度に分けて渡したそうだ。「背中を押してくれてありがとう」と感謝する作家ばかりなら編集者も楽なのだろうが。

[京都新聞 2016年09月29日掲載]

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