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第14回 うつほ物語 俊蔭

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原文は河野多麻校注『日本古典文学大系10』(岩波書店)より転載。原文の表記の一部を修正している。

 母は、ここ(北山山中の杉の木の根元に出来た空洞(うつほ))で暮らしていこうと決めて、子に言う。「今は閑暇もあるようだから、私の父が大切な事だと考えて教えてくださった琴を習わせてあげよう。弾いてご覧なさい」と言って、(かつて父俊蔭(としかげ)が自分に与えた)「りうかく風(ふ)」という琴を子仲忠の琴にし、(俊蔭が弾(ひ)いていた)「ほそを風(ふ)」を自分で弾いて習わせたところ、とても覚えがよく、なんとも上手に弾くのであった。

 人気(ひとけ)もなく、動物も、普段は熊や狼(おおかみ)ぐらいしか姿を見せない山なのだが、このように素晴らしい演奏をすると、たまたま音を聞きつけた動物が、すぐさまこのあたりに集まって、みな音楽に心を打たれ感歎し、生きとし生けるもの、草木さえもなびく。そんな中、山の尾根を一つ越えて、ごつくて威厳ありげな牝(めす)猿が、子猿をたくさん引き連れてやってきて、この母子の琴の音を嘆賞して聞き入っている。別の大きな木のうつほを住まいとして占有して長年が経ち、山の幸を採り集めては糧(かて)として暮らしている猿なのであった。

 牝猿はこの琴の音に魅せられて、折々の木の実を持って土産とし、子猿と連れだってやって来る。そうして、母子が琴を弾くのを聞く。

うつほ物語絵巻 /「うつほ物語絵巻」(うつほ物語九州大学付属図書館蔵)「奈良絵本」と呼ばれる彩色の絵巻。近世前期、寛文(1661~73年)頃の制作という。琴を弾く母子に聞き入り、木の実らしきものを捧げる2匹の猿。その他、鹿、狼、狐なども捧げ物を持って聞き入っている姿が描かれる
うつほ物語絵巻 /「うつほ物語絵巻」(うつほ物語九州大学付属図書館蔵)「奈良絵本」と呼ばれる彩色の絵巻。近世前期、寛文(1661~73年)頃の制作という。琴を弾く母子に聞き入り、木の実らしきものを捧げる2匹の猿。その他、鹿、狼、狐なども捧げ物を持って聞き入っている姿が描かれる
上記画像は、九州大学付属図書館のサイトで見られます。


古代物語と『源氏』をつなぐ



 寺社への参籠がそうであるように、「籠(こ)もる」ことは、人が新しく生まれ変わる契機を内在する行為である。英語ではインキュベーションという。「鳥が卵を抱いて孵化(ふか)すること、巣ごもることで、夢を得んと聖所に忌みこもって眠ることをも、ギリシャ以来こう呼んでいる」(西郷信綱『古代人と夢』)。聖徳太子の夢殿がいい例だ。

 物語で母子が籠もる「うつほ」は、大木の根元の空洞だが、源頼政が退治した鵺(ぬえ)は、木をくりぬいた「うつほ舟」に入れて流された(『平家物語』)。また理一(りいち)聖人は、足摺岬からうつほ船に乗り、南海の観音の浄土、補陀落(ふだらく)へと向う(『長門本平家物語』巻四)。「フダラク渡りの人々」(益田勝実)の一人だ。那智勝浦の補陀落山寺は、その名所である。

 さて「うつほ」で暮らすのは、美しい二十代の母と、子の仲忠である。仲忠は数えで6歳だが「変化の者」で育ちも早く、大人のようで、神秘的な才知に満ちていた。亡き祖父の清原俊蔭(としかげ)は、16歳で遣唐使となったが、波斯(はし)国(東南アジアあたりか)に漂流して不思議な体験を積む。「三人の人」から琴を伝授されて西に行き、阿修羅(あしゆら)の守る霊木を得て、天稚御子(あめわかみこ)が30の琴を作った。天女が漆を塗り、織女(たなばた)は緒をすげた。俊蔭が弾(ひ)くと7人の天人が降臨し、7人の仙人から琴の秘曲を伝承せよといい、30の琴のうち「声まさりたる」秘琴を「なん風(ふ)」「はし風」と命名した。俊蔭はさらに西へ進んで七仙人と出会い、琴を合奏すると、妙音は仏の御国に届く。仏は文殊と来訪し、仙人の因縁と俊蔭の子孫の果報を告げる。俊蔭は帰国を決意して七仙人それぞれに琴を渡し、仙人は残る10の琴に名を付けた。

 俊蔭は、秘琴二つと10の琴を旋風に載せて運んで波斯国へ戻り、貿易船に乗って、23年ぶりに祖国の地を踏んだ。父母はすでに亡(な)い。賜姓源氏の皇女を娶(めと)り、一人娘をなして琴を仕込み、「りうかく風」を娘に、「ほそを風」を我が物とした。そして七つの琴を持って参内し、天皇皇后以下に贈る。俊蔭が帝に献上した「せた風」を奏でると、内裏の瓦は砕けて花のように散り、6月なのに雪が降り積もる。感激した帝は、東宮の琴の師となってその才を伝えよと命ずるが、俊蔭は、遣唐使派遣の苦労、父母も失ったつらさを口説いて仕官を固辞。「三条の末、京極の大路」に豪邸を建て、娘の入内(じゅだい)も多くの求婚も断って蟄居(ちっきょ)した。娘が15の歳に、秘琴「なん風」「はし風」を託して、妻を追うように没する。

 乳母(めのと)も失い、身寄りのない娘の暮らしは困窮した。昔の下仕え媼(おうな)の助けで何とか過ごしていたが、ある日、賀茂詣での道中でふと立ち寄った太政大臣の息子若小君(わかこぎみ)(兼雅(かねまさ))に見初められ、一夜のちぎりを結ぶ。行方知らずの外泊を親に叱(しか)られた兼雅は、それっきり訪問も叶(かな)わず。無垢(むく)な彼女は、妊娠に気付かず9カ月も経(た)ち、慌てて媼が出産を導いた。

 仲忠5歳で媼も死に、父が丹精を凝らした家も零落して、仲忠が山に入って食べ物を調達する事態となった。彼は北山の山中で、広く整えられた杉の木のうつほの住まいを見つけ、住食安泰と考えたが、そこは山の王、熊の一家が住む場所だった。あわや食い殺されそうになった仲忠が、自分が死ねば母の命もない。食われても死なない耳たぶや鼻の頭を召しませ、と訴えた孝行の気持ちが通じて熊は「ここ」を譲り、母子は暮らしを始めたのである。

 この後、猿に養われるように生き延びた母子は、北野の行幸のお供で近くを通った兼雅が、琴の音に導かれ、北山の五つの尾根を越えてやって来て、再会。新生の転機となった。兼雅は多くの妻妾を棄(す)て、三条堀川の邸宅に彼らを引き取る。長編物語の始まりだ。

 SFファンタジー顔負けの荒唐無稽だが、月から来たかぐや姫(『竹取物語』)や、美女に変じた亀と恋に落ちた浦島が海中の「蓬莱山(ほうらいさん)」に行く(『日本書紀』他)古代物語と『源氏物語』のリアリティを接続する、文学史の一コマだ。ただし最後のジャンプは大きい。「『源氏』作り出(い)でたることこそ、思へど思へど、この世一つならずめづらかに思(おぼ)ほゆれ」。「わづかに『うつほ』『竹取』『住吉』などばかりを、物語とて見けむ心地に、さばかりに作り出(い)でけむ、凡夫のしわざとも覚(おぼ)えぬことなり」。800年以上前に『無名草子(むみようぞうし)』が評したとおりである。


北山(京都市北区ほか)

鴨川の北方に連なる北山の峰々。京都市上京区から望む
鴨川の北方に連なる北山の峰々。京都市上京区から望む
北山
北山

 山の奥には異次元、異界の場所がある―誰も、一度はこんな思いにとらわれたことがあるだろう。深い山は、夢想をかき立てる。

 俊蔭の娘とその子の仲忠が、熊からその住居だった4本の大杉の根本の空洞を譲り受け、そこで暮らし秘琴の修練に励む。このエピソードが「うつほ物語」の題名につながったとされる。母と子の住む広大な空洞は、木の皮や苔が敷き詰められていて快適そう。周囲には木の実や果実があふれ、泉もわき出している。さらに、琴の音に魅了されたサルなどが山でとれたものも運んでくる。都の雅(みやび)とは無縁の質素だが豊かな世界。まさに、北山の奥に広がる空間は、この母と子にとってユートピアではないか。

 京都の北、若狭や丹波、近江につながる北山の深い連山をさまよえば、今も巨木にうがたれた「うつほ」の不思議な世界に出合えるような気がする。

あらき・ひろし

荒木浩氏

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)

【2018年11月22日掲載】