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第10回 宇治拾遺物語 第一話

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原文は三木紀人・浅見和彦校注『新日本古典文学大系42』(岩波書店)より転載。原文の表記を一部を修正している。


道命阿闍梨、和泉式部の許において読経し、五条の道祖神、聴聞の事

 今ではもう昔のこと、傅殿(ふどの)・藤原道綱の子に、道命阿闍梨(あじゃり)という好色な僧がいた。和泉式部を愛人として通っていた。

 経文の読誦(どくじゅ)に優れていた。この道命が和泉式部の許へ行って同衾していた夜、ふと目覚め、心を澄まして『法華経』を読み始め、ついに全八巻を読み終えて、未明に眠気を催してうとうとした時に、人の気配がしたので、「そこにいるのは、誰だ」と問うたところ、「私めは、五条西洞院のあたりにおります翁でございます」と答えたので、「これは何事か」と道命が言うと、「このお経を今晩聴聞申し上げたことが、今後生まれ変わりましても未来永劫(えいごう)、忘れがたく存じます」と言ったので、道命は「『法華経』を読誦申し上げるのは、いつものことだ。どうして今宵(こよい)ばかりを言われるのか」と言うと、五条の道祖神は「身を清めて読誦なさる時は、梵天(ぼんてん)や帝釈天をはじめとする神々が聴聞なさいますので、この翁などは、お側に近づいて拝聴することがかないません。今宵は、行水もなさらず読経申し上げなさったので、梵天、帝釈天も御聴聞なさらぬ間隙(かんげき)で、私も、近づき参じて、お声を承ることができましたのが、忘れがたく存じます」とおっしゃったとか。

『都名所画譜』宇治橋(国際日本文化研究センター蔵)
『都名所画譜』宇治橋(国際日本文化研究センター蔵)『都名所画譜』は、明治27(1894)年に大阪の青木恒三郎(青木嵩山堂)によって編集・出版された、上下2巻の画譜。「古今諸名家図画」を集めたと銘打つ。この絵は上巻第一図を飾り、円山応挙の落款がある
日文研データベースHPで閲覧できます。http://db.nichibun.ac.jp/ja/


古今東西の話題を200近く



 宇治は古来、交通の要衝であった。応神天皇も近江行幸の途次、宇治川北岸の野から葛野(後の平安京北西)を国見して歌を詠み、木幡で麗しい宮主宅媛(みやぬしのやかひめ)と出会う。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が生まれ末弟ながら皇太子になると、異母兄大山守(おおやまもり)は逆順を怨み、父の死後、謀叛を計画する。異母兄の不穏を察知した大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)が弟の皇太子に通報、太子は宇治川の渡し船を転覆させて大山守を殺した。太子は遂(つい)に即位せず、異母兄大鷦鷯(おおささぎ)(仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺…。宇治の文学史の原像となる悲劇だ。

 菟道稚郎子を祀(まつ)る宇治神社は、宇治上神社とともに離宮明神の別称を持つ。彼の離宮の旧跡らしい。葬地と伝える宇治墓も近い。

 菟道稚郎子の残像は『源氏物語』の宇治八の宮に投影する。朱雀帝と光源氏の異母弟八の宮は、朱雀の母・弘徽殿(こきでん)の女御一派が異母弟の皇太子(後の冷泉帝。実父は光源氏)から皇統を簒奪しようとする陰謀に巻き込まれて挫折。その後は愛妻を失い邸宅も火事に遭って、二人の娘と「世をうぢ山と人はいふ」宇治に移住した。

 聖(ひじり)のような八の宮に心酔する光源氏の子薫(実父は柏木)は、やがて娘たちの魅力に気付いて愛着し、光源氏の孫匂宮(におうみや)と恋の鞘(さや)当てを演ずる。浮舟も登場し、都の東南(たつみ)宇治の地は、俄然(がぜん)、華やぐトポスとなった。

 『平家物語』に二度の宇治川の戦い(橋合戦と宇治川の先陣争い)が描かれ、宇治文学史は大きな転換期を迎えることになるが、『源氏』と『平家』に挟まれた11世紀後半に、もう一つ大事な文学の風景があった。源隆国(たかくに)(1004~77年)の『宇治大納言物語』編纂である。13世紀の『宇治拾遺物語』序文によれば、醍醐天皇の曾孫で安和の変の源高明(たかあきら)の孫宇治大納言源隆国は、高齢となった後、京都の暑さはかなわんと「五月より八月までは」休暇をとって宇治に在り、「平等院一切経蔵の南の山ぎはに、南泉房と云(い)ふ所に、こもりゐられけり」。避暑のつれづれに、身分の「上下をいはず」、宇治を往来する人々を「よびあつめ、昔物語をせさせて」、自分は寛いだ珍妙な姿で部屋の中に寝そべり「語るにしたがひて、おほきなる双紙に書かれけり」。「様々(さまざま)やうやう」の聞書(ききがき)を蒐集(しゅうしゅう)した。

 同書は『今昔物語集』以下に説話を提供して役目を終え、散逸して伝わらないが、序文で末裔(まつえい)を自称する『宇治拾遺物語』が、天竺(てんじく)・震旦(しんたん)(中国)から日本まで、古今東西、豊富な話柄を二〇〇近く収め、面影を偲(しの)ばせる。芥川龍之介『鼻』の原話、瘤取り爺とわらしべ長者、舌切り雀の類話や浦島の弟も出てくる。掉尾(ちょうび)は秦代中国への仏教非伝来譚、荘子の貧しさ、孔子の失錯という三話で括(くく)る。中世の混沌(こんとん)を照射し、読者の知と連想を刺激してやまない作品だ。

 本話は、芥川『道祖問答』の原話で『宇治拾遺』巻頭に位置する。道命は声が優れて尊く、「読経道」の名人とされた。法輪寺で読経した時には、金峰山の蔵王・熊野権現・住吉大明神・松尾大明神等の神々が聴聞に来て、その功徳を讃(たた)えたという(『今昔物語集』他)。ところが本話の道命は、心は清浄、だが体は女色に穢(けが)れて尊貴な神々に忌避され、性神の道祖神だけが喜ぶ。五条は今の松原通。松原道祖神社がある。かつては五条天神社と西洞院をはさんで向かい合っていた。醍醐天皇の時代、このあたりに実の成らぬ柿の木があり、糞鳶(くそとび)の化けた偽仏が出現した。『今昔』はそこを五条道祖神の在所と述べ、『宇治拾遺』は五条天神のあたりと描く。だから無住『雑談集』は、道命と問答したのは五条天神だと説く。ちなみにお伽草子『和泉式部』の道命は、和泉式部が藤原保昌との間になした子で、五条の橋に捨てた遺児。道命は、母と知らずに和泉式部を見て、恋心を抱く。

 複雑な男性遍歴で色好みと評判の和泉式部だが、天性の歌人で、手紙や散文の名手だったと『紫式部日記』はいう。しかし本話の彼女は、道命の<女>という設定のみ。饒舌(じょうぜつ)な道祖神と道命の傍らで存在感を消し、不気味な沈黙の中にある。<男>の文学の限界か。


宇治橋 (宇治市)

さまざまな歴史の舞台となってきた宇治橋。大勢の観光客が訪れる(宇治市)
さまざまな歴史の舞台となってきた宇治橋。大勢の観光客が訪れる(宇治市)
宇治橋地図
宇治橋地図

 宇治橋は、1996年にかけ替えられたとはいえ、青銅のギボシ、ヒノキの欄干で、日本三古橋の一つとしての風格を保つ。急流が橋脚で白波を立ち上げ、涼しげだ。

 橋の西詰めから始まる平等院表参道は、大勢の観光客で混雑している。その喧騒(けんそう)がうそのような細い道を、鳳凰堂を右に見ながら南へたどると、平等院南門前に至り、大きな駐車場が現れる。

 山際近く、モミジの植え込みの中に宇治市教育委員会が立てたパネルが見える。源隆国が平等院南の南泉房で、諸国から往来する人々の話を聞き、説話集にまとめたと書く宇治拾遺物語序文を紹介。この場所で発掘された庭園跡こそ、南泉房の実在を示すものだろうと記している。

 宇治は今、日本、世界各地からの観光客でにぎわう。隆国のように、この人たちの面白い話を聞き書きすれば、今日の「宇治大納言物語」ができるかもしれない。

荒木浩氏

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)

【2018年7月26日掲載】