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(7)ナンパやない。ずうっと前から気になってたん


  「うちつけに、深からぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心の中(うち)も聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと思ひなしたまへ」

古典セレクション「源氏物語」(小学館、校注・訳 阿部秋生、秋山虔、今井源衛、鈴木日出男)から一部転載。

 通説では、源氏の君17歳の夏。空蝉(うつせみ)(伊予介の若い妻)は20代前半。

 

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

 (縁起かつぎの「方違(かたたが)え」で、紀伊守(きのかみ)の家に泊まることになった、その夜のこと)

 源氏の君はね、なんや気が張ってしもて、ぜんぜん眠たならはれへんの。目さえてしもて、ああ、しょうもないなあ、て布団の上でごろごろしたはるうち、すぐ北の障子のむこうから、ごそごそ、ひとの気配がしてきたんやんか。

 「え…あれってひょっとして、さっき話にでとった、伊予介(いよのすけ)じいさんの、若い、あたらしい奥さんちゃうんかな。みんなが、かわいそうに、ていうてはった…」

 気になってもうてね、そうっと起きて、廊下で立ち聞きしたはったらな、ちいちゃい男の子の、かいらしいかすれ声で、「なあ、なあ、どこにいたはんのん?」「ここやで、ここ寝てるえ」と返事。眠たそうな、ぼやっとした声が、なんやよう似たあるし、そうか、おねえちゃんと弟か、と源氏の君は気づかはんの。「お客さん、もう、寝はったん? けっこう離れたお部屋なんやんな、近いとこやのうて、ほっとしたわ」

 弟はひそひそ声で「あっちの、ひさしのあるおへやで、寝たはるわ。えっらいイケメンやてきいてたけど、ほんま、めーっちゃ、男前やったで!」
 「あそう。ま、お昼間やったらね、ちらっとでも、のぞきにいくんやけど。ふわーあ」。布団かぶってもうたんやろね、ねむたそうな声が、もごもご聞こえてくるん。なんや、おんなっ気より、眠気かいな、て源氏の君は肩すかし。

 「ぼく、このすみっこのへんに寝ててええやろ。なんや、つかれたし」と弟は、灯(あか)りをごそごそ動かしたりしてる。ふうん。ていうことは、むこうの彼女、襖(ふすま)あけてすぐの、筋向かいのへんに、いま寝てる、てことやんな。

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語
撮影・吉田清貴

 「…中将の君はどこなん、女房の?」て彼女の声が呼ばはるん。「そばに誰もいてへんのは、ちょっと、こわいねんけど」

 むこうの部屋の奥から、女房たちの返事。「下の家に、お湯浴びにいってて、もうちょっとしたら帰る、思います…」

 しーん。

 …みんな寝てもうたみたい。襖の掛けがね、ちょっとつまんであげてみたら、なんと、むこうから掛けてなくって、すう、って開くやん! 障子口に、几帳をたてたあるむこう、のぞいてみたら、薄暗いなかに、中国風の衣装ケースがいくつも置いてあって、ごちゃごちゃしてるそのあいだを、抜き足さしてはいっていったそこに、小柄な彼女が、ひとりだけ、ちんまり寝たはるん。

 「…うーん、なに?」
 上にかけてる薄衣を、源氏の君が押しのけるまで、女房が帰ってきたもんや、て思いこんだはんの。

 「さっき、中将、て呼ばはったでしょ」と源氏の君。「ぼくもね、位でいうたら、中将いうたら中将や。逢(あ)いたいなあ、て、こっそり思てた、その甲斐(かい)があったんかな」
 「え!」
 なにがなんやらわからへん。なんや、へんなもんに襲われる! 怖うて、声あげようとしはんねんけど、薄衣が顔にかぶさって、ぜーんぜん外まできこえへん。

 「いきなりやしね、チャラいナンパや、思われても、そらしゃあないけど…」と源氏の君。「ほんまのほんまに、ずうっと前から気になってたん。ふふ、信じられへんてか? でもな、待って待って、待ち望んで、それで僕ら、実際こないして逢(お)うてるやん、なあ、これって、運命やとおもわへん?」

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

いしい・しんじ

いしいしんじさん
 1966年大阪市生まれ。京都大卒。主な作品に「麦ふみクーツェ」(第18回坪田譲治文学賞)、「ある一日」(第29回織田作之助賞)など。2009年から京都市在住。

【2017年05月15日付京都新聞朝刊掲載】