京都新聞TOP > 文化・文芸・教育アーカイブ > 京都・滋賀 いろいろかたり
インデックス

俳優 岸部一徳さん

若者に寛容で面白い
 昔の京都を知る人から「マンションばかりが増えて街並みは変わってしまった」と嘆く声をよく聞く。それだけに「京都はほとんど変わってない」と繰り返す岸部さんの言葉は少し意外だった。
 岸部さんにとって京都の色は緑。「嵐山によく泳ぎに行ったんで。どこでも山が見える」
 若くして上京し、それこそ“一寸先は闇”の厳しい世界で、名脇役の地歩を固めていった。長く遠く離れていたからこそ、京都は仲間たちと笑い合った日々そのままのオアシスであり続けているのかもしれない。
「若者らしさを拒絶するのではなくて、生かしてくれる街。京都で生まれ育ってなかったら、今の僕はないかもしれません」(京都市左京区・京都造形芸術大)
「若者らしさを拒絶するのではなくて、生かしてくれる街。京都で生まれ育ってなかったら、今の僕はないかもしれません」(京都市左京区・京都造形芸術大)
 映画やドラマで活躍する俳優の岸部一徳さん(68)は京都市で生まれ育った。青春時代は放課後に仲間と連れだって繁華街に繰り出した。
 「四条河原町をよく歩いてましたね。三条、四条の間を歩く。そのころ16、17歳でしょ。河原町通は平気で歩けるんだけれど、木屋町になるとちょっと大人の気分みたいなものがあって。さらに向こうの先斗町になると、なかなか歩きにくい。ちょっとずつ大人の何かが必要でね。

何が生まれるか分からない

岸部さんが高校時代、仲間とよく待ち合わせをした京都高島屋前。「今でも通ると、今日は何しようかと、それだけを考えていたあの頃を思い出す」(下京区)
岸部さんが高校時代、仲間とよく待ち合わせをした京都高島屋前。「今でも通ると、今日は何しようかと、それだけを考えていたあの頃を思い出す」(下京区)
 それで河原町をぶらぶら、ぶらぶら。しかも東側ばかりを歩く。西側は歩いた記憶がないんです。この前も誰かと話していたんですけど不思議ですね。よく行っていたパチンコ屋が東側ということもあったんでしょうけど。夕方になると高島屋の前で仲間と待ち合わせして、(当時あったダンスホールの)『田園』に行ったり、お金はないのに、ただ一緒に歩いたり。人生で、ひょっとしたら一番楽しかった時間かな。若いっていうのはすごいなというか、仲間と会うことが、こんなに楽しいことはないっていう気分でした」

 その頃、はやりのアイビールックで約180センチの長身を包んだ岸部さんの写真が京都新聞に掲載された。読者写真コンテストの入選作品で、「踊る若者達」と表題が付いていた。
 「これ、京都新聞だったんだ。当時、何人かで植物園に行って踊ってたんですよ。音楽をかけて、男女のグループで踊った記憶がある。今でいうライブハウスやディスコに毎晩のように行っていた頃ですから。17歳ぐらいですか。背丈は今と変わらないぐらいですよ」

 やがてベンチャーズの来日を機に、沢田研二さんら京都の仲間とバンドを組んだ。グループサウンズブームの波に乗り、「ザ・タイガース」は熱狂的な人気を集めた。
 「京都にいてもだめだ、なんて思って大阪に出て、そこからすぐ東京に行ってワーッといろんなことやりましたけど。60年代の終わりから70年代にかけて、世の中は安保だ何だって大騒ぎしている時代でしたから、『女の子相手にふざけて』なんて言われたりしたけど、僕らは音楽は世界共通だという認識でね、何も恥ずかしいことはないと。

 その点で京都は面白い街ですね。エレキギターは不良の象徴みたいな時代でしたけど、意外に京都の人は、なんかこう、いいように見てくれていた。変なことをしてるというのじゃなくて、面白いのが出てきたなって、僕らの周りは温かく見てくれた。(東京にも)行くなら行ってこいって応援してくれた」

 最近は、同窓会などで京都を訪れることが増えた。
 「50を過ぎて、休みになるとふらっと京都に遊びに行くようになった。中学3年の時のクラス会で同級生に会うのが楽しい時間になった。ふるさとだし、街並みもあまり変わらないし。みんな60代になって肩書がなくなって、学生の時のまんまに戻るんで」

 主演した新作映画「正しく生きる」には、京都造形芸術大の学生たちも出演者や裏方として参加した。
 「初めてのことで、新鮮でいい経験になった。プロでない人は、役を作り上げるのではないからこそリアルで、こちらの演技が浮かないように気をつけた。自分が初めて演じた時のことをふっと思い出しました。あの中から、次の映画人が生まれてほしい。京都は何が生まれるか分からないところですから。そういう面白さがあると思います」

きしべ・いっとく

読者写真コンテストの入選作に写った岸部さん(1964年12月12日付京都新聞夕刊)。長身でおしゃれな若者だった
読者写真コンテストの入選作に写った岸部さん(1964年12月12日付京都新聞夕刊)。長身でおしゃれな若者だった
 1947年生まれ。伏見工業高卒。67年「ザ・タイガース」のベーシストとしてデビュー。愛称はサリーだった。解散後、数多くの映画に出演。小栗康平監督「死の棘(とげ)」(90年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞。最新主演作「正しく生きる」は21日から京都シネマで公開。

【2015年03月21日掲載】