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(14)特産の餅

とち餅の原料となる実
とち餅の原料となる実

 舌がピリピリとしびれるほどのあくがあるトチの実。蒸したもち米と一緒につくと、茶色いとち餅に仕上がっていく。口に入れると、ほどよい苦みと香ばしい風味が広がった。

 南丹市美山町高野の栃原区の住民でつくる「栃の里グループ」の加工場で11月上旬、あんこ入りのとち餅を女性たちが手際よく丸めていた。特産品として販売しており、観光客に人気を集めている。

山村の営み刻み、脈々と

伝統のとち餅をつくる栃原区の女性たち(南丹市美山町高野)
伝統のとち餅をつくる栃原区の女性たち(南丹市美山町高野)

米とトチを食べる

 トチの実は9月に自生する奥山で採取した後、約1カ月間にわたって天日干しで乾燥させる保存食だ。加工部長の小畑恵子さん(64)は「昔は必要な時に水で戻して使い、実を拾うのも女性の仕事だった。あらかじめ解禁日を決めておき、一斉に取りに行った」と説明する。実は専用の道具で押しつぶして殻を割り、水に漬けた後、落葉樹の灰と熱湯を混ぜてあく抜きする。

 地元では、正月を迎えると、白い餅と一緒にとち餅を食べる風習が受け継がれてきた。事務局の小畑学さん(60)は「トチの実を入れ、貴重なもち米の量を減らした。そんな生活の知恵から生まれたのだろう。村の長寿の秘訣(ひけつ)になっている」と誇る。

 民俗学者野本寛一さんの著書「栃と餅」によると、トチの食文化は縄文時代を起源とし、近代まで主食の一つに数える地域があった。トチの粉をご飯やかゆに入れて食べる風習が全国各地に残った。生活様式が変化して米が行きわたるようになると、日常食としてのトチは忘れ去られていった、と指摘する。

山国さきがけセンターが販売する小さい納豆餅
山国さきがけセンターが販売する小さい納豆餅

京北地域では納豆餅

 郷土に残る餅はとち餅だけではない。京都市右京区の京北地域では、納豆餅を特産として売り出している。南北朝時代の1362年、常照皇寺(京北井戸町)を開山した光厳法皇が納豆を広めたという伝承がある。その名残なのか、正月に雑煮ではなく、納豆餅を食べる風習が残る。

 京北大野町の表具師河原林成吏さん(76)は伝統の味を継承している。塩でねった納豆を用意し、いろりで10センチほどの餅をこんがりと焼く。きな粉をひいた木皿にのせ、しゃもじで焦げ目を中に入れ込みながら、円盤状に広げていく。その上に納豆をのせて半月型に包む。好みで黒砂糖も入れる。「正月には女性を休ませる意味から、男性が納豆餅を焼いた。子供の頃は顔よりも大きい餅を食べた」と河原林さん。

いろりで焼いた餅をしゃもじでひろげて納豆餅をつくる河原林さん(京都市右京区京北大野町)
いろりで焼いた餅をしゃもじでひろげて納豆餅をつくる河原林さん(京都市右京区京北大野町)

弁当代わりに持参

 さすがに巨大サイズの納豆餅は売れない。地元の山国自治会が出資する「山国さきがけセンター」(京都市右京区京北塔町)では、小さなサイズにして商品化している。仲上泰夫専務(70)は「京北は林業が盛んだった。かつては桂川に筏(いかだ)を組んで材木を流す船頭が納豆餅を食べていた。父親も山仕事の際に弁当代わりに納豆餅を持って行った」と語る。

 納豆餅の聞き取り調査を行った郷土史家湊友三郎さん(70)=京丹波町=によると、その食文化は南丹市日吉町、美山町、八木町神吉、京都市左京区広河原や大原、鞍馬にも広がる。湊さんは「山の仕事と関連して、山国地域を中心に円状に分布している」と説明する。

 納豆から作る人もいる。日吉町の牧山地区の田中文代さん(81)は毎年、わらを束ねた「つと」に炊いた大豆を詰め、湯たんぽと一緒に布団を掛けて3~5日間、発酵させる。12月に入れば納豆を仕込む予定だ。田中さんは「昔はもみ殻で納豆を発酵させた。作る人が減ったが、正月には欠かせません」。

 伝統の餅はかつての山村の営みを刻み、脈々と続く。

【2018年11月18日掲載】