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(17)わら

 新たな1年の幸福をもたらす年神を家に迎え入れる上で、わらは欠かせない。

新年 年神を家に迎え入れ

 亀岡市千歳町の農業杉﨑清彦さん(75)宅では、玄米の入った一斗枡に雌松を2本挿し、細長いしめ縄を巻いた「歳徳(としとく)さん」を飾る。歳徳さんは「年神さんが宿る場所」だ。

 その前に白米を山状に盛り、ミカンや柿、昆布、栗を載せた「蓬莱(ほうらい)」と、二段の鏡餅を供える。家の敷地には「牛蒡(ごぼう)」の形のしめ縄付きの門松を立てる。正月飾りは年神の道しるべとなる。

 しめ縄は、柔らかくて長いという、自ら育てたもち米のわらを使い、年末に作る。杉﨑さんが子どもの頃、「歳徳さん」の一斗枡はわらの米俵を使っていたという。

 元旦には、家族そろって「歳徳さん」に手を合わせ、その後で白みその雑煮を食べる。イモや大根などの具材は輪切りにして「丸くおさまる」と縁起を担ぐ。

 杉﨑さんは「ゆく年の家族や農作物の平穏無事に感謝し、来る年の五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を願う。華やいだ正月飾りをすると、気持ちも次のステップにいきやすい」と語る。

蓬莱や鏡餅を供えた「歳徳さん」に手を合わせる杉﨑さん(亀岡市千歳町)
蓬莱や鏡餅を供えた「歳徳さん」に手を合わせる杉﨑さん(亀岡市千歳町)
杉﨑さん宅に飾られたしめ縄のついた門松
杉﨑さん宅に飾られたしめ縄のついた門松

 生活に不可欠な素材

 わらは米の副産物だ。かつて年中行事だけではなく、日常生活に不可欠な素材の一つだった。頭に編みがさ、体にみのを着て、足に草履をはいた。炊きたてのご飯を冷まさない容器や鍋敷きにも重宝され、むしろは、穀物の乾燥に使われた。馬や人を模したわら細工は子どもの遊び道具だった。

 老舗料亭や神社のしめ縄を作る南丹市美山町豊郷の岡本勝さん(90)は、学校に通うため、わらで草履を作り、家業の炭焼きで炭を運ぶ俵も編んだ。ロープやほうきもこしらえた。岡本さんは「12月から春までは家でわら仕事ばかり手伝わされた。強くて複雑な形を編める素材はわらしか無く、何でもわらと木、竹で作った。戦後になって、ビニールや化学製品の登場で廃れた」と振り返る。

慣れた手つきでしめ縄をつくる岡本さん(南丹市美山町)
慣れた手つきでしめ縄をつくる岡本さん(南丹市美山町)

 人びとの絆も育む

 わらは集落の絆も育んできた。南丹市日吉町四ツ谷の中島進さん(75)は夫婦一緒になって「めがね」や「えび」など、8種類のしめ縄を毎年作って知人や近隣住民に配る。技は中学生の頃から近所の人に教えてもらったといい、「神様の通るものやから、柔らかくするために木槌でたたいたらいかんといわれ、今でも硬いままで編んでいる」と話す。

 1月15日ごろには各地で、正月飾りを燃やす「とんど焼き」が開かれる。中島さんは「子どもが集まり、餅を焼いたり、書き初めを燃やしたりしてかつては交流の場だった。わらを天日干しする家が無くなりつつあり、わらを手に入れるのも難しくなってきている」と嘆く。

中島さんが作ったさまざまなしめ縄(南丹市日吉町)
中島さんが作ったさまざまなしめ縄(南丹市日吉町)

 日本人が忘れたもの

 「藁(わら)の文化」研究会を主宰する宮崎清・千葉大名誉教授(意匠史論)は「使い古されたわら製品やその灰は、水田の堆肥や土壁に利用された」と指摘した上で、「わら製品は使う人のことを考えた結果、生まれた、美しい民衆の造形物。大切に補修されて使い続けられた後、土に返す。プラスチックとは違い、腐ることで新しい命を育む。先人たちは自然循環型の暮らしを当たり前のようにやっていた。高度経済成長期の工業化によって、日本人が忘れたものが、そこにある」と語った。

 熟練の手仕事を再認識し、継承する取り組みが求められている。

【2019年01月20日掲載】