京都新聞TOP >丹波訪米記
インデックス

(1)献上米

 日本人の主食とされてきた米。農業の担い手の高齢化や米価下落などの荒波を受けながらも、古代から連綿と栽培が続いている。源流から最新の潮流まで丹波の米にまつわる物語を追う。

最良の地から「新嘗祭」へ

田植機を操作する北村さん。昨年は近くの水田で天皇陛下に献上する米を栽培した(京丹波町豊田)
田植機を操作する北村さん。昨年は近くの水田で天皇陛下に献上する米を栽培した(京丹波町豊田)

 鏡のような水田が谷あいに広がる中、イネの苗が規則的に植えられていく。5月の連休最終日、京丹波町豊田で農業を営む北村優幸さん(71)は田植えに追われていた。

 「昨年はずっと米のことが気掛かりだった。今年は少し気は楽だが、適度に雨が降るイネの成長にいい気候であってほしい」

府代表選ばれ「名誉」

 昨年10月23日のことだ。北村さんはモーニングコートに身を包み込み、収穫した一升の米を桐の箱に入れて皇居に向かっていた。宮中祭祀(さいし)「新嘗祭(にいなめさい)」に使う献上米に北村さんのコシヒカリが京都府代表に選ばれたからだ。それは、五穀豊穣(ほうじょう)を神々に感謝して、国の安寧を願う重要な儀式とされる。

 その献穀式に、米やアワを育てた農業者らが出席し、天皇・皇后両陛下が作柄を尋ねて回られた。北村さんは「神秘的なご様子で震えるような思いがした」と、米で得た貴重な経験を振り返る。

 北村さんは減農薬にこだわり、丹波地域の米のコンテストで入賞を続けてきた。献上は京丹波町から打診があった。米は一番水のきれいな場所で作り、獣が入らないよう細心の注意を払った。収穫後は色彩選別機にかけた上で米粒をよりすぐった。「名誉なこと。先祖からの田を頑張って守ってきたかいがあった」とほほ笑む。

 新嘗祭は毎年11月23日に営まれ、天皇陛下が皇居内の神嘉殿で、各地の献上米や自ら栽培した米やアワを神前に供え、食される。

天皇家と関わり深く

 米と天皇家の関係は神話にさかのぼる。8世紀に編さんされた古事記や日本書紀には皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天から地上へ下る「天孫降臨」が描かれている。佛教大の斎藤英喜教授(神話・伝承学)は「天照大神は孫に稲穂を授け、孫の名前も稲穂がにぎにぎしく実っているという意味がある。新嘗祭は天皇にとって米の収穫に感謝するとともに、神話からの系譜を表す重要な儀式」と指摘する。

 来年11月には新天皇の大嘗祭(だいじょうさい)(即位後初の新嘗祭)が営まれる。儀式に使う米を栽培する「悠紀田(ゆきでん)」と「主基田(すきでん)」が指定される。昭和天皇は滋賀県と福岡県、今上天皇は秋田県と大分県が選ばれた。

江戸時代に主基田

 大嘗祭は約220年の中断を経て江戸時代中期の1687(貞享4)年に復興された。その際、悠紀田を近江国、主基田は丹波国が担ったとされる。丹波国では皇室関係領の並河村(亀岡市)と鳥居村(京都市右京区)にその記録が残る。

 1848(嘉永元)年の大嘗祭の主基田があった亀岡市大井町並河を訪ねた。桂川の近くに水田や畑が広がり、JR山陰線がすぐそばを走る。献上を記す目印は何もない。

 通りがかった地元の農業永田敏和さん(69)に主基田について尋ねると初耳だという。「亀岡ではたびたび水害が起きてきたが、そう言われてみればここは、なぜだか水が漬かない」。先人も最良の地を選び、次代の幕開けを担う米を献上してきたのだろうか。

【2018年05月13日掲載】