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歴史変わるか

保革激突60年間
花束を掲げ、当時全国初の7選を支持者と喜び合う蜷川虎三氏(1974年4月8日、京都市中京区)
 京都府知事選は戦後に公選制となってから前回まで16回あり、革新勢力が一方の軸となる形で政治勢力が激突してきた。第2回の選挙で誕生した「革新府政」が7期28年にわたって続いた後、いずれも官僚出身の知事3代による「保守中道」路線が32年間継続している。新人の門祐輔氏と現職の山田啓二氏による今回の二極対決の背景でもあり、全国的にも特異な歴史を持つ知事選を振り返った。

蜷川氏初の7選/社共共闘が終息/非共産対共産構図に
最小票差 74年の4500票 最低投票率 06年38.44%


■革新府政
 京都で「革新知事」が誕生したのは1950年の第2回。社会党公認で立候補した元京都大教授の蜷川虎三氏が初当選した。東京都や大阪府でも革新知事の誕生が続く中、蜷川氏は手厚い福祉政策を独自に打ち出すなどして名をはせ、当時で全国初の7選を果たした。
 当選を重ねる間の支持政党の枠組みは一貫したものではなかった。54年の第3回では社会党と共産党の革新統一候補として再選を果たしたが、58年の第4回は蜷川氏が自民党の推薦を受けた影響で、共産党が対立候補を立てた。1974年の第8回には社会党が分裂し、同党府本部委員長だった大橋和孝氏と4500票差の接戦にもつれ込んだ。この票差は府知事選の最小記録でもある。

■転 換

革新府政からの転換を成し遂げ、当選に沸く選挙事務所でダルマに目を入れる林田悠紀夫氏(1978年4月10日、京都市中京区)
 「革新府政」は、蜷川氏が引退した78年の第9回で幕を閉じる。三極の争いとなり、自民党などが擁立した参院議員(元農林省官僚)の林田悠紀夫氏が、共産党支持の京都大教授、杉村敏正氏を約6万8千票差で破った。
 この選挙で社会党と共産党は異なる候補を担ぎ、社共共闘の終息が府政転換の大きな要因になった。
 林田氏が2期務めた後、86年の第11回には自治省(当時)出身で副知事だった荒巻禎一氏が初当選した。この時、自民、公明とともに民社、社会の両党も荒巻氏を推薦。「非共産対共産」の構図が生まれ、今回の知事選まで7回続いている。国政与野党の「相乗り」の下、荒巻氏は毎回50万票を超える安定した戦いぶりで4選を果たした。

■継 承

4選を果たし、支持者の拍手にこたえる荒巻禎一氏(1998年4月12日、京都市中京区)
 2002年の第15回では荒巻氏が自身と同じく自治省出身で当時副知事だった山田啓二氏を事実上、後継に指名。共産党推薦の弁護士森川明氏に加え、元八木町長の中川泰宏氏(元衆院議員)が立候補して保守勢力が割れる展開になったが、山田氏は6党の推薦を受け初当選を果たした。
 前回の06年の第16回では、再選を目指す山田氏と、共産党推薦の新人衣笠洋子氏の一騎打ちに。山田氏は府議会与党会派の自民、民主、公明、社民各党の推薦を受けて1期目の実績をアピールした。衣笠氏は立候補表明が山田氏より遅くなり、知名度不足もあって20万票以上の大差で敗れた。選挙戦では両氏ともマニフェスト(選挙公約)を発表し、政策論争が新たな段階に入った。今回の知事選でも、その流れは定着している。

■今 回

最近10回の京都府知事選の主な候補者の得票数 【注】推薦・支持の政党のうち、社は94年まで社会、98年以降は社民、由=自由、保=保守、新社=新社会、平=平和、政=民政、友=友愛、民連=民改連、新=新生、日新=日本新、さ=さきがけ、社連=社民連、進=進歩党、自ク=新自由クラブ、社府=社会党府本部。敬称略。
 一方で、林田氏の再選以来、自民党主導の選挙をすすめる核となってきた政治団体「活力ある京都をつくる会」は、今選挙を前に名称変更で消滅。民主党が政権を握り、「相乗り禁止」を打ち出した影響から、山田氏は政党推薦を求めない方針を示し、選挙事務長に連合京都会長を据えるなどしたため、府議会与党間がぎくしゃくする場面もあった。
 対する門氏は、前回の反省を踏まえて昨年7月に立候補を表明。共産党の推薦を受け、「蜷川府政誕生から60年」という節目に、府政での「政権交代」を目指している。
 歴代投票率のトップは72・96%。大量のビラ配りなど派手な物量作戦が語り継がれる1970年の第7回に記録した。一方、「非共産対共産」の選挙となって以降は40%台に低迷し、前回の38・44%は過去最低となった。