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(34)京阪神単軌高架鉄道(京都市-大阪市)

水上空間を走行構想
酒蔵と菜の花の共演で有名なこの川にも、モノレールの高架が走っていたかもしれない (京都市伏見区)
酒蔵と菜の花の共演で有名なこの川にも、モノレールの高架が走っていたかもしれない (京都市伏見区)

 昭和初期、京都と大阪を高速のモノレールで結ぶ計画があった。都市化が進んでいた京都市内では、鴨川の川岸や高瀬川(東高瀬川)の上を進む予定だった。「昭和の高瀬船」とも言うべき幻のモノレール計画を訪ね歩いた。

 「京阪神単軌高架鉄道」は、七条大橋西詰め(下京区)と現在の阪急十三駅付近(大阪市)をつなぐ路線だ。社名の通り高架のモノレールの計画だった。

桜並木が美しい鴨川の西岸に、モノレールの敷設が予定されていた(京都市下京区・塩小路橋)
桜並木が美しい鴨川の西岸に、モノレールの敷設が予定されていた(京都市下京区・塩小路橋)

 京都側の起点の七条大橋西詰めに向かう。付近は三十三間堂や京都国立博物館といった施設に加え京阪七条駅も近く、JR京都駅も徒歩圏内という好立地。鴨川西岸には桜並木があり、見頃を迎えていた。大阪から乗車した客は、桜に彩られた駅に降り立つことになっていたのかもしれない。

 計画路線は基本的に鴨川の西側を進む。30分ほど歩くと河原町十条の交差点に出た。交差点から南には、阪神高速京都線の高架道路が川沿いを走る。モノレールの高架ができていたら、ちょうど似たような光景になっていたのだろうか。モノレールのイメージに高速道路を重ね合わせて歩く。

 昭和に入るころ、京都市の人口は急増していた。人口密度は1平方キロメートルあたり1万人を超え、現在の東京都中央区や港区並みだった。1931(昭和6)年、京都市は当時の伏見市を合併、すぐに人口が100万人に到達した。

京阪神単軌高架鉄道が目論見書に掲載した海外のモノレールの写真(国立公文書館デジタルアーカイブより)
京阪神単軌高架鉄道が目論見書に掲載した海外のモノレールの写真(国立公文書館デジタルアーカイブより)

 京阪神単軌高架鉄道は29(同4)年に敷設計画を国に提出した。目論見書には「水陸の空間を利用し最高速度電車を運転」と記す。すでに市街化が進む京都市では新たな用地買収は困難で、水上空間を多用するつもりだったのだろう。最高速力は「1時間80マイル」としており、時速128キロに相当する。

 20年代、「単軌電車」と呼ばれたモノレールは新技術として注目を集めていた。20年の「子供の聞きたがる話」という本は、建設費が従来の鉄道の30分の1になるとした上で「はるかに迅速に敷設することができる」としている。25年発行の本「面白い科学の話」は「今度米国で考案されようとするのは(時速)70マイルないし80マイルという素晴らしいもの」と記述する。

 しかし、京都府知事が京阪や新京阪(現阪急京都線)が存在するとして反対したこともあり、31年に「その必要認めがたい」として却下された。

鴨川に沿う阪神高速京都線。「モノレールの高架ができていれば」とイメージを重ねた(南区)
鴨川に沿う阪神高速京都線。「モノレールの高架ができていれば」とイメージを重ねた(南区)

 鴨川を渡り伏見区に入ると計画路線は東高瀬川に沿うようになる。川沿いには九条ねぎも栽培され、のどかな雰囲気が漂う。

 近鉄京都線をまたぎ、琵琶湖疏水放水路との合流点を過ぎると、土手に菜の花が見られる。しばらく行くと酒蔵と花が共演する有名な場所に出た。

 多くの映画などに登場する名所にも高架のモノレールが通っていたかもしれない。自転車で訪れ、写真を撮っていた会社員市村敏也さん(52)=向日市=に取材の意図を話すと「モノレールですか」と面食らった様子。伏見を代表する景観スポットに無機質なモノレールが走らなかったことを喜ぶべきかもしれない。

京阪神単軌高架鉄道

京阪神単軌高架鉄道
 目論見書によると京都から大阪までを「第一線」、大阪から神戸までを「第二線」としている。「オイゲンライゲン式」と呼ばれる千葉モノレール(千葉市)や湘南モノレール(神奈川県)などに似た懸垂式モノレールの計画で、50人乗りの車両を製作する予定だった。計画時とは鴨川の流路が変わっており、往時のままの場所を歩くことは難しい。

【2019年04月12日掲載】