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(4)新京阪鉄道山科線(向日市、京都市伏見、南、山科区)

壮大な計画、戦争で消え
小屋のある辺りを山科線は走る予定だった。遠くには人口急増地域の住宅街が見えている(京都市伏見区久我)
小屋のある辺りを山科線は走る予定だった。遠くには人口急増地域の住宅街が見えている(京都市伏見区久我)

 戦前、向日市から京都市伏見区や南区、山科区を結ぶ鉄道の計画があった。しかし、時代は戦争へと向かい、「幻」と消えた。21世紀を迎え、その沿線は発展が目覚ましい。もう一度、“光”をあてようと路線予定地を歩いてみた。

桂川を渡る鉄橋が架けられる予定地に立つ若林さん。北側に見えているのは久我橋(京都市南区)
桂川を渡る鉄橋が架けられる予定地に立つ若林さん。北側に見えているのは久我橋(京都市南区)

 幻の「新京阪山科線」は現在の阪急京都線を運営していた新京阪鉄道が立案した。京都府立総合資料館の若林正博さん(47)は、府庁文書に残る図面を元に、ルートを割り出した。

 そんな「すご腕」の研究者に現地調査を同行してもらった。起点となった向日市の阪急西向日駅で待ち合わせしたが、少々お疲れ気味。「京阪伏見桃山(伏見区)から淀(同)、阪急西山天王山(長岡京市)、西向日と電車とバスに計3回乗りました。京都は東西の移動が大変ですね」

 山科線は山科区大宅へと向かう路線だ。大宅では大津に向かう別の線に乗り入れ、最終的には名古屋へ向かう壮大な構想だった。

 重要な分岐点となるはずだった西向日駅東側の住宅街を歩く。桜並木で知られる閑静な住宅街だ。もしこの駅が名古屋行き特急の停車駅だったら…。百貨店やロータリーが存在したのだろうか。ネオンきらめく駅前だったのだろうか。

 予定地に沿って東へ進むと、JR東海道線や新幹線、名神高速道路などに出合う。いずれも名古屋に向かう「ライバル路線」だ。

 名神の高架下を抜けると一面は畑。予定地を忠実にたどろうと、2人で水路の脇や畑のあぜ道をジグザグに進むうち京都市に入る。畑の向こうには伏見区久我の住宅街が見える。一帯はこの20年で人口が3割以上も増加している。山科線はこの地区に「上久我」駅を造る計画もあった。

 畑で野菜の栽培をしていた、地元生まれの薮晃夫さん(70)に話を聞いた。「鉄道の計画? 聞いたことない。もしできていたら人口もさらに増えて便利になってたやろうね」

 桂川、西高瀬川、鴨川と三つの川を越え、見本市会場「京都パルスプラザ」が近づいてくる。付近に「城南宮駅」が建設されていたかもしれない。ここも阪神高速京都線の開通から企業進出が多い。

 現在、京都パルスプラザは「竹田駅徒歩約15分」などと案内する。山科線があれば、梅田駅(大阪市)から45分くらいで直結。名古屋からも便利だった。「城南宮駅前」は四条烏丸や京都駅と並ぶ繁華な場所になっていたかもしれない。

 山科線は昭和天皇の即位に伴う京都の都市改造に合わせて立案された。しかし着工前に世界恐慌、日中戦争の時代へと突入。新線建設は立ち消え、1937年に計画は廃止になった。

 幻の計画路線は京阪本線をまたぎ、国立病院機構京都医療センターの北隣を通り、大岩街道や名神高速道路が走る場所を通って山科区大宅に向かった。

 京都盆地の中央を東西に横断する「山科線」。計画の発想自体は色あせていないように思う。「新京阪鉄道」という時計の針は80年間、止まったままだ。

「城南宮駅」が設置される予定地に立つ京都パルスプラザ(京都市伏見区)
「城南宮駅」が設置される予定地に立つ京都パルスプラザ(京都市伏見区)
戦前の阪急京都線を代表する「新京阪P-6形電車」。この電車が山科線を駆け抜け、名古屋まで走っていたかもしれない(福田静二さん提供)
戦前の阪急京都線を代表する「新京阪P-6形電車」。この電車が山科線を駆け抜け、名古屋まで走っていたかもしれない(福田静二さん提供)

新京阪山科線

新京阪鉄道山科線

 阪急電鉄西向日駅から山科区大宅までを結ぶ約12キロの計画線。京阪電鉄の子会社、新京阪鉄道が1928(昭和3)年、敷設免許を出願した。しかし37(同12)年、新京阪を買収した京阪電鉄は計画廃止を願い出て、山科線は幻の路線となった。その予定地のうち現在道路として歩ける部分は、東側のごくわずかしかない。並走するバス路線も伏見区久我付近の京都市バスや、竹田駅東口を出る京阪バスなどに限定される。

【2016年08月04日掲載】