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カジやんの撮り鉄日記
京都新聞の撮り鉄カメラマン"カジやん"が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

(41)踏切

道路との交差、危険減らす
3代目歌川広重作の「八ツ山下鉄道之夜景」に描かれている木製踏切(「東京開化三十六景」より、明治初め)
3代目歌川広重作の「八ツ山下鉄道之夜景」に描かれている木製踏切(「東京開化三十六景」より、明治初め)
 線路の敷設に当たって、道路との交差は避けることができない。道路と線路を平面交差させる際に設置されるのが踏切である。

 踏切の歴史は1872(明治5)年、日本初の鉄道開業とともに始まる。当時は土木技術が発達しておらず、また経済資本に乏しく立体交差化が難しかったため、道路と線路が平面交差する箇所が数多く生じ、踏切も各所に設置されることとなった。

 明治初期から踏切の危険性は認識されており、交通量の多い踏切には道路と線路を遮断するための門扉、現在の遮断機が設置されていた。今とは異なり、当時は線路を常に門扉で閉鎖し、列車が近づいた時だけ係員が道路側に門扉を移していたようだ。
踏切警手と子どもたち(昭和30年ごろ、場所不明)
踏切警手と子どもたち(昭和30年ごろ、場所不明)
 その後、87(同20)年ごろからは、列車の接近とともに道路を閉鎖する現在の方式に変わったとされる。そして大正時代末期には、列車の接近を知らせる踏切警報機の試験が始まり、1930(昭和5)年からは、音と光を発する警報機の採用が決定された。

 昭和30年代になると、それまで列車の接近に合わせて手動で操作していた遮断機に替わり、自動式の遮断機が採用され、警報機と遮断機を備えた、現在の主流である踏切(第1種踏切)の原型ができあがった。

 このように踏切は列車を運行する上で重要な存在であり、第1種踏切をはじめ、遮断機のない第3種踏切や、遮断機も警報機もない第4種踏切も合わせると、2016(平成28)年現在で日本全国に3万3千カ所ほど存在する。なお、踏切警手を一定時間、配備する第2種踏切は現存していない。

 一方で、踏切は鉄道事故が多く発生する場所でもある。安全性を向上させるためには、線路・道路の高架化や地下化といった立体交差が有効だ。このため、現行法は踏切の設置を厳しく制限しており、都市部では立体交差化も進められているため、今後、踏切の数は徐々に減少していくと考えられる。
館内に展示されている踏切
館内に展示されている踏切
 また、残る踏切も安全対策の強化が進められている。当館1階には、折れにくい遮断かんや、視認性の高い踏切警報機が採用された現行の踏切が展示されており、実際に作動させることができる。

 踏切内の自動車などを検知するセンサー、乗務員に危険を知らせる特殊信号発光機などに加え、踏切内でトラブルが発生した時に押す非常ボタンも作動する。来館の折りには、正しい踏切の渡り方を確認するとともに、万が一の時の対応も体験していただきたい。(京都鉄道博物館総務課 上田和季)

【2017年02月28日掲載】