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劉建輝氏 明治維新に中国のお膳立て

劉建輝氏 りゅう・けんき 1961年生まれ。日中比較文学・文化。北京大学比較文学・文化研究所助教授などを経て現職。2016年から日文研副所長。著書に「魔都上海」(ちくま学芸文庫)ほか。


 今年は明治維新150周年にあたる。しかし、筆者の知る限り、どの記念イベントも維新と中国との関わり(後者への影響などを除く)について取り上げるものはない。当然である。戦争のこと以外、日本近代史の記述は基本的に中国のこと、また中国的な要素をずっと「隠蔽」し続けてきたからだ。
 しかし、他の事例はさておき、こと明治維新に限って言えば、その成功の背後に中国が大いに関わり、情報提供などの側面できわめて重要な役割を果たしたのである。
 維新から遡(さかのぼ)って50年、1810年代に今日で言う自由貿易体制(個人貿易)がすでに中国の対ヨーロッパ貿易の窓口である広州の十三行に上陸し、またそれに伴い、プロテスタントの宣教師たちもいよいよ東アジアへの伝道活動を始めた。彼らは後の租界を彷彿(ほうふつ)させる十三行で英漢字典を作り、聖書を漢訳し、また漢文で西洋情報誌まで刊行している。
 アヘン戦争後、さらに商人たちとともにこぞって開港地の上海に移り、今度こそ正式の租界を拠点に伝道のかたわら、さかんに西洋情報を発信し始めた。「漢訳洋書」と言われるこれらの情報(書籍)の中身は、イギリスやアメリカの歴史をはじめ、天文学、物理学、地理学、植物学、医学などあらゆる学問分野にわたり、実に西洋近代への啓蒙に相応(ふさわ)しい豊かな内容を有している。
 この一連の「漢訳洋書」がペリー来航の前後から長崎などを通してことごとく日本に伝来し、漢文素養の高い維新志士たちの西洋理解に大きな手助けとなったのである。
 時期が前後するが、吉田松陰の師である佐久間象山が1828年の時点で「英華字典」を入手し、英語の勉強を始めている。松陰自身も下田でアメリカへの密航をはかる際、ペリー艦隊の通訳に渡した「投夷書」には「支那の書」を読んで世界の情勢を知ったと記されている。
 ちなみに、従来、幕末に流布する西洋の情報源と言われるオランダ風説書は、あくまでバタビア(ジャカルタ)で発行されたオランダ新聞の切り抜きで、その情報的な価値は、体系をなす「漢訳洋書」とはけっして同じレベルで語るべきではないと言える。ましてや、これら上海伝来の「漢訳洋書」は、幕府をはじめ、各藩でも数多く翻刻され、藩校等で教科書として使用されたことを考えると、その影響力がいかに大きかったかは想像がつくだろう。
 紙面の関係で、わずか一事例しか挙げられなかったが、これを持っても、まだ明治維新が周辺地域と関係なく日本国内だけで完成した偉業と言えるだろうか。

(国際日本文化研究センター教授)

[京都新聞 2018年08月10日掲載]