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筧文生氏 中国での新皇帝即位と改元

筧文生氏 かけひ・ふみお 1934年生まれ。京都大人文科学研究所助手、上海外国語学院講師などを歴任し、立命館大名誉教授。著書に「梅堯臣」「成都重慶物語」「長安百花の時」ほか多数。


 四月三十日の天皇退位にともない、五月一日に皇太子が天皇となり、新元号が「令和」となった。
 わが国で、一世一元、すなわち一人の天皇には一つの元号を用いることが定められたのは、明治天皇になってからである。その前の孝明天皇は、一八四六年に即位し、六七年に病没するまでの二十年余りに、幕末の政情不安も影響しているとはいえ嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と六回も元号を変えている。
 そもそも日本が元号を用いるようになったのは、天智天皇らによる大化の改新(六四五年)が最初であり、それはもちろん中国に倣(なら)ったからである。その時の中国は唐王朝を作った太宗の貞観十九年にあたる。
 中国で元号が使われるようになったのは、前漢の武帝(前一四〇~八七年在位)の時代である。すなわち即位して二十年後、大臣が「元号は天の瑞兆(ずいちょう)によって命名すべきであって、一、二と数えるべきではない。最初の元号を『建元』とし、次は彗星(すいせい)が現れたので『元光』とし、その次は郊を祀(まつ)る(天を祀る)時に一角獣を捕らえたので『元狩(げんしゅ)』とするように」と言上した。これが元号を用いた最初である。
 以後、後漢から蒙古が支配した元までは、元号の使い方に一定の原則はなかった。例えば唐の玄宗皇帝は開元という年号を二十九年間続けた後、楊貴妃を寵愛(ちょうあい)するようになって、天宝と改元している。
 一人の皇帝が一つの元号を用いるようになるのは、明・清の二王朝の時代だけである。ただし、中国では日本と違い、皇帝が亡くなった翌日から改元するような非礼なことはしない。新しい元号は、皇帝が亡くなった翌年から用いられる。
 日本では明治天皇が亡くなった翌日に皇太子が即位し、元号を大正と改め、大正天皇が亡くなった翌日には同じく新天皇が即位し、昭和と改元、昭和天皇の亡くなった翌日に新天皇が即位して平成と改元した。
 元号を使い始めた中国では新しい皇帝が即位しても、元号を改めるのは、翌年からである。にもかかわらず、中国に倣った日本で即座に改元してしまうのは、なぜなのだろう。日本人が潔癖すぎるからなのか、それともせっかちだからであろうか。
 改元の準備が十分にできていない段階で突如新しい天皇に交代するようなことがあったら、どうするつもりだろう。私などが心配することではないにしても、やはり中国の事例を参考にすべきではないか。いや、中華人民共和国はもちろん、台湾ですらとっくに元号を廃止している。「令和」のような騒ぎが二度と起こらないようにしてほしいものである。

(中国文学者)

[京都新聞 2019年05月24日掲載]