ソフィア 京都新聞文化会議 京都新聞電子版へ

井波律子氏 老いの花 上手に咲かせて
いなみ・りつこ 1944年、富山県生まれ。京都大大学院博士課程修了。金沢大教授を経て95年から現職。専門は中国文学。著書に「奇人と異才の中国史」「中国の隠者」など。

 唐代の大詩人杜甫(とほ)(七一二-七七〇)は「人生 七十 古来稀(まれ)なり」(「曲江」)と歌った。七十歳を「古稀」と称するのもこの詩句に始まるとされる。しかし、今や高齢化社会の時代、七十歳など稀どころか、高齢のうちにも入らず、どの家にも八十代、九十代の方がおられるといっても過言ではないほどだ。わが家にも九十三歳の老母がいるが、この夏の猛暑がこたえたのか、心身ともに不調に陥った。幸い涼しくなるにつれ、しだいに回復し、ほっとしているところである。老いてゆく母を見ていると、「明日はわが身」だと思われてならない。上手に老いるためにどうしたらいいのか、そろそろ自分自身の心身ともに快適な老後のために、「老い支度」にとりかからねばと、ふとまじめに考えこんだりしてしまう。
 中国の歴史において、寄る年波をものともせず、老いの花を咲かせた人はめずらしくない。後漢(ごかん)王朝(二五-二二〇)創業の功臣、馬援(ばえん)(前一四-後四九)はその顕著な例である。馬援は大器晩成型の人物だが、文武両道、軍事家としても傑出した才能の持ち主だった。彼は最後まで戦場に出ることを望み、主君の光武帝(こうぶてい)も「矍鑠(かくしゃく)たるかな、是(こ)の翁(おう)は」と笑いながら、出陣を許可したとされる。最後の出陣に臨んだとき、馬援は六十二歳。現在ではこの年齢の元気な人を「矍鑠たる翁」とは言わないが、当時の尺度から言えば、まぎれもなく「翁」にほかならない(おそらく当時の六十代は今の八十代に相当するであろう)。
 英雄豪傑がしのぎをけずる「三国志」世界にも、百戦錬磨の頼もしい老将が数多く登場する。劉備配下の趙雲(ちょううん)、黄忠(こうちゅう)はその代表的存在である。若いときから危機に強い、プロフェショナルな武将だった趙雲は老いてなお衰えず、とりわけ負け戦さのさいの引き際の鮮やかさには、目をみはらせるものがあった。黄忠は七十を越えた最晩年になってからエネルギー全開、戦場を駆けめぐって強敵を撃破し、文字どおり老いの花を咲かせた。
 趙雲ら烈々たる老将に共通するのは、不屈の闘志と夢を見つづける能力である。「三国志」世界きっての英雄にして姦雄(かんゆう)でもある曹操(そうそう)(一五五-二二〇)は、この意味でも群を抜く存在だった。彼はその詩「歩出夏門行(ほしゅつかもんこう)」第五首で、「老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すも、志は千里に在り、烈士は暮年になるも、壮心は已(や)まず(老いたる名馬は厩(うまや)に寝そべっていても、千里を走ることを夢み、勇者は晩年になっても、気概を抱きつづける)」と歌い、最後まで戦いぬいた。
 曹操の見果てぬ夢は天下統一だったが、そんな大それた話はさておき、読書であれ映画鑑賞であれ、どんな些細(ささい)なことでも、自分がやりたいこと、好きでたまらないことを見つけ追求しつづけて、頭脳を活性化することが、平凡ながら、快適な老後の秘訣(ひけつ)ではないかと思われる。ちなみに、わが老母はむかし習っていた清元や小唄などの邦楽を、記憶の底から浮かびあがらせ、おりにつけては口ずさみながら、穏やかな日を送っている。
(国際日本文化研究センター教授)

[京都新聞 2006年10月08日掲載]