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伊藤邦武氏 虚栄の悪夢 ウォール街に再び
いとう・くにたけ 1949年、横須賀市生まれ。京都大文学部卒。文学博士。専門は哲学。95年から現職。著書に『ケインズの哲学』や『宇宙を哲学する』などがある。

 京都の姉妹都市フィレンツェは、十五世紀の後半に奇妙な経験をすることになった。銀行業メディチ家の支配のもとで大輪の文化を花開かせていた都市の人々に、サボナローラというドメニコ会士が、「改悛(かいしゅん)の行列」に連なるよう説教し、身の回りの華美で非キリスト教的な文化的作品を、市庁舎前の「虚栄のかがり火」という大きな火にくべるようにと扇動したのである。
 この「虚栄のかがり火」という言葉が、二十世紀の末にアメリカで復活した。ニュージャーナリズムの旗手トム・ウルフが、ウォール街での八〇年代の狂乱のバブルと崩壊を題材に小説『虚栄のかがり火』を作り、それが映画にもなった。
 トム・ハンクス演じる映画の主人公は天才的な若き金融マンで、当時「ヤッピー」と呼ばれていた。彼は自分を、息子がもっていたロボット「マスター・オブ・ウニヴァース」になぞらえていたが、ふとしたきっかけで転落し、結局すべてを失ってしまうことになった。
 複雑な金融工学で精妙に化粧された無数の「派生的商品」が生み出す虚栄の繁栄の悪夢は、アメリカでは九〇年前後に終わったはずであったが、この悪夢は本当には終わっておらず、生き残ったマスター・オブ・ウニヴァースたちの跳梁(ちょうりょう)の果てに、もっとずっと深刻で悪質、壊滅的な規模で再来することになった。どうしてなのだろうか。
 大恐慌というと呼び出される思想家の一人にケインズがいる。ケインズはもちろん二十世紀最大の経済学者であるが、同時に「不確実性」をめぐる哲学者でもあった。彼の処女作『確率論』はホワイトヘッドやラッセルなどの哲学者たちの影響下で、パスカルやライプニッツの発想を復活すべく作られたが、彼がそこで強調していたのは、もろもろの不確実な事象への対処において、複雑な数学に依拠して判断できる領域はきわめて限られているということであった。
 この主張は彼の代表作『雇用、利子、貨幣の一般理論』でも変わらない。ケインズはラッセルも恐れるほどの数学的才能をもっていたが、その限界についても非常に透徹した理解をもっていた。これはケインズが範と仰いだパスカルやライプニッツでも同様である。
 私はウォール街のマスター・オブ・ウニヴァースたちが、これらの天才たちに学ぶだけの知的な謙虚さがもう少しあったならばと思うのであるが、どうだろうか。
(京都大教授)

[京都新聞 2009年05月31日掲載]