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白幡洋三郎氏 日本文化を根付かせた椿
白幡洋三郎氏 しらはた・ようざぶろう 1949年大阪府生まれ。京都大大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。専門は都市文化論。著書に「近代都市公園史の研究」など。

 ドイツのドレスデン市郊外に椿(つばき)の巨木がある。ヨーロッパ最大、最古の日本の椿、ヤブツバキである。どうしてこの地に日本の椿の、それも巨木が生育しているのか。
 話は250年前、江戸時代中期にさかのぼる。当時、長崎・出島のオランダ商館にスウェーデン人のツンベルクが医師として雇われていた。彼は1年半ほどの滞在中に日本の植物を熱心に研究した。そして、1776年に帰国する時、植物標本のほかに、ヨーロッパにはない植物の生きた苗木も多数持ち帰ったらしい。
 その苗木の中に椿があった。無事にヨーロッパに着いた椿は4本。ロンドンのキュー植物園に1本を残し、他はハノーファー、ウィーン、ドレスデンの宮廷付属植物園に1本ずつ送られた。ところがドレスデン以外の椿は現存しない。唯一、ドイツ・ザクセン王の離宮、ピルニッツ宮殿にもたらされたものだけが生き残ったのである。
 ザクセン地方は内陸部で、冬の寒さはことのほか厳しい。そんな地に移された椿だけが生き残ったのは、よほど大事にされ細やかに手入れされていたからに違いない。そこには自らが持たないもの、異質なものへ関わろうとする温かく熱い心情が働いていたであろう。この間の事情をたどるだけでも波瀾(はらん)万丈の日欧文化交流史となるように思う。
 椿はヨーロッパに自生していない。18世紀以来まれに宮廷で育てられる異国の珍しい花で、限られた人たちだけが観賞する上流階級の花だった。ところが、19世紀のヨーロッパに椿ブームが起こる。フランスのアレクサンドル・デュマ・フィスが小説『椿姫』を出版したのが1848年。イタリアのヴェルディがこれをオペラにしたのが1853年。この頃、椿の増殖が試みられ、のちに多くの人が東洋のバラ=椿を手に入れ、楽しめるようになる。ドレスデンでは宮廷庭師の情熱だけでなく、一般の広い関心に支えられ椿の苗木生産が、地場産業の一つとして成長した。そして高嶺(たかね)の花であった椿を大衆の花にして、椿ブームに大いに貢献したようだ。
 ヨーロッパ到着以来230余年。ドレスデンの日本椿はいま、鉄鋼ガラス張りの巨大な可動式温室に守られ、毎年3万5千個の花をつける。声高な異文化理解を叫ぶことなく、しかし着実に日本の文化交流使節の役を務めてくれているようにみえる。
(国際日本文化研究センター教授)

[京都新聞 2013年09月29日掲載]