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高木博志氏 原爆と馬町空襲の体験
高木博志氏 たかぎ・ひろし 1959年大阪府生まれ。立命館大大学院修了。2012年から現職。著作に「近代日本の歴史都市-古都と城下町」「近代天皇制の文化史的研究」「近代天皇制と古都」など。

 今年1月16日、京都市東山区に「馬町空襲の地」の石碑が建てられた。1945年のその日の馬町空襲では、死者40人、全半壊143戸の被害を出した。京都でも空襲による戦災があった、「この事実を後世に伝える」住民の運動に共感する。
 美術史家ラングドン・ウォーナーの建議により、アメリカ政府が文化財を保護したために京都は爆撃を免れたという伝説がある。しかしすでに鈴木良氏、吉田守男氏らが明らかにしているが、京都における馬町や西陣などの空襲がそれでも小規模であったのは、本番の原爆投下か、あるいは大空襲のジェノサイド(集団殺りく)に向けて、町が残されたからだ。
 文化財に富んだ京都にアメリカが配慮したからではなく、京都は原爆投下の第一目標であった。広島、長崎などと共通して、周囲を山に囲まれた地形で人口が密集し、軍事拠点でもある。小規模な空襲でわざと人家を温存し、すり鉢状の盆地で原爆の破壊力、殺傷能力をみる。アメリカ軍の地図で原爆投下照準点は、梅小路機関車庫にドットされていた。京都への原爆投下は、敗戦間際に政治的に保留されたに過ぎない。原爆投下は戦後冷戦のヘゲモニーを見据えた、アメリカの戦略の中にあった。
 そうすると平安京以来、古都京都は、特権的な文化の位置を内外からつねに認められ保護されてきたわけではなく、壊滅的な危機がアジア・太平洋戦争の時にもあった。むしろ京都は宗教的意義や知識人の多さゆえに、原爆を投下するのに理想の地とされた。20世紀に創り出された古典文学や葵祭の国風文化像、社寺や町家の古都の景観、あるいは「日本に、京都があってよかった」との観光ノスタルジー。そうした古都京都イメージすら、そもそもなりたちえない原爆投下の危機がすぐそこまで来ていたのだ。
 戦争の体験を受け継ぐことは大切である。アジア・太平洋戦争から70年たち、戦争体験世代が少なくなることで、世の中の急激な変化を感じる。明治維新から70年たって、維新を体験した世代がいなくなるころ、日中戦争がはじまった。今日、特定秘密保護法により現代史の解明に制約をきたしつつある。戦死者・戦争体験者から戦後の平和を授かった1959年生まれの世代として、戦時下に生きた世代の思いと理性のつまった日本国憲法や戦後民主主義の意味を考えたい。
(京都大人文科学研究所教授)

[京都新聞 2014年02月21日掲載]