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岡本隆司氏 史学の復権と日中関係
岡本隆司氏 おかもと・たかし 1965年京都市生まれ。博士(文学)。専攻は近代中国史。2005年、『属国と自主のあいだ』でサントリー学芸賞受賞。著書に『中国「反日」の源流』『李鴻章』『近代中国史』など。

 去る11月10日、北京で日中首脳会談が実現した。およそ2年半ぶり、これで冷え切った日中関係が改善に向かう、との期待もある。もっともいまは映像・動画の世紀、安倍晋三首相を迎えた習近平国家主席の憮然(ぶぜん)たる表情が、強烈な印象を残した。まだまだ楽観はできない。
 多かれ少なかれ、局面は確かに転換した。今後どうなっていくかが問題である。それなら会談がなかった時間をどう考えるかも、気にとめておいたほうがよい。
 長かったとみる向きもあろう。それでも、つくづく短気だ、と筆者が感じてしまうのは、この間たがいに、何を悟ったとも思えないからである。
 もちろん会わないよりは会ったほうがいいし、仲が悪いよりは良いほうがいいに決まっている。けれどもうわべだけの友好、虚偽・誤解にもとづく親密では、冷却した関係よりよほど始末が悪い。空疎で過剰な期待や願望をいだいて、いたずらに失望を大きくするばかりである。
 日中関係の歴史は、決して短くない。だが親密な友好的な時代が、果たしてどれだけあっただろうか。実際に干戈(かんか)を交えた20世紀前半はいわずもがな、その前後もずっと敵国どうしだった。人民共和国・国民政府・清朝、さらにさかのぼれば、16世紀の倭寇(わこう)や秀吉の朝鮮出兵・元寇(げんこう)も。日中の間は険悪なのが、歴史的な常態だといってよい。
 ほんとうに関係を改善したいのなら、なぜずっと仲が悪いのか、良くならないのか、をキチンとわかっておく必要がある。そのことを双方ともに怠ってきたのではないか。
 遅きは為(な)さざるに勝る、そのためにこそ、歴史研究がある。無関係な過去を穿鑿(せんさく)し、無意味なゴタクを並べる所業のように見えるかもしれない。しかしいかに迂遠(うえん)ではあれ、物事の来歴を正確につきとめる手続きは、深い思考に必要不可欠なのである。
 「そんなことをやって何になる」とは、四半世紀前、史学に志した筆者の母親のつぶやきであった。いまや官僚・学者まで同じことばを口にする。就職できない息子の行く末を危ぶむならまだしも、立派な知識人にして、歴史を知らずとも現状がわかる、とうそぶいてもらっては困る。
 すぐにわかりたい、役立てたい、というネット時代の今こそ、急がば回れ。日中関係の改善には、深い中国理解が必要、それには、歴史が欠かせない。史学の復権こそ、日中関係ひいては日本を良くする第一歩であろう。
(京都府立大准教授)

[京都新聞 2014年12月26日掲載]