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武田時昌氏 古医書の「記憶」を語り継ぐ
武田時昌氏 たけだ・ときまさ 1954年生まれ。京都大工学部を卒業後に文学部に学士入学、信州大助教授を経て現職。専門は中国科学思想史。編著に『術数学の射程』『陰陽五行のサイエンス』など。

  東アジアの伝統医学は鍼術(しんじゅつ)、灸法(きゅうほう)、按摩(あんま)、接骨の諸技法や方剤調合による投薬を中心とするが、長生術や呪術的療法も雑居する。そのため、かえって多元的な医療文化を醸成し、社会的作用は現代医学よりも大きい。なぜならば、心身の健康には様々(さまざま)な文化要素が絡んでおり、多元的なアプローチが必要であるからだ。
 近年、ユネスコ世界遺産事業をめぐってちょっとした動きがあった。韓国が2009年に『東医宝鑑』の世界記憶遺産登録を実現させた。先を越された中国は、翌年に中医鍼灸を世界無形文化遺産に、翌々年に『黄帝内経(こうていだいけい)』『本草綱目』を世界記憶遺産に登録させたのである。
 両国の伝統医学は、中医学、韓医学として現代化され、西洋医学に対峙(たいじ)する。しかし、日本は明治期の欧化政策で近代医学の枠外に放逐したために、まったくの関心外だった。本邦残存の古医書は、書目数で1万5千種を超え、総冊数で100万冊に達する。にもかかわらず、その医学的伝統は書庫内に封印されている。
 そこで、大阪府立大学教授の大形徹氏と協力して「東アジア伝統医療文化の多角的考察」をテーマとする人文研拠点共同研究班を立ち上げた。会読テキストには現存最古の和医書である『医心方(いしんぽう)』(丹波康頼撰、984年に円融天皇に献上)を取り上げ、それを世界記憶遺産の候補に推挙するミッションを掲げた。
 今年の2月22日には国際集会を開いて、『東医宝鑑』を登録させた韓医事業団の中心メンバーを招聘した。すると、韓国側から天下の孤本である宮内庁書陵部蔵『医方類聚(いほうるいじゅう)』を復刻したいので支援してほしいとの要望があった。すると、中国の次の候補を考えるなら『傷寒論(しょうかんろん)』がふさわしいと誰かが言い出し、『傷寒論』『医心方』『医方類聚』を3点セットにして相互に協力するプランを捻(ひね)り出した。その妙案に北京中医学大学の研究者が賛同し、5月末に催された任応秋先生生誕百年祭の時に2度目の会合を行った。
 戦後70年、団塊の世代が定年を迎えて、どの分野でも世代交代の時期である。今ならば、近世からの医道の伝統を記憶する古老も健在だから、次世代の若者に語り継いでいこうと提案すると、古医書国際研究のプロジェクト構想がまとまった。
 東アジア世界は教養基盤を共有する。古来より語り継いできたものを振り返り、東洋の記憶として未来社会に何を伝えていくべきかを語り合うなら、調和型の学術文化が再び開花するかもしれない。そのような3国対話の試みが、不幸な戦争の後遺症を克服する良薬になるだろう。
(京都大人文科学研究所教授)

[京都新聞 2015年07月24日掲載]