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(10)遺骨87体未返還、尊厳無視 <医の倫理根源 京大の収集>

帝国の骨

 北海道大から返還された先祖の遺骨を迎えて行われたアイヌ民族の「イチャルパ」(2017年9月16日、北海道紋別市)
北海道大から返還された先祖の遺骨を迎えて行われたアイヌ民族の「カムイノミ」(2017年9月16日、北海道紋別市)

 京都大は、大正時代から京都帝国大医学部の清野謙次教授らが収集したアイヌ民族の遺骨のほか、沖縄や各地での収集遺骨も含め、保管状況を「回答しない」という。京大が2012年にまとめたアイヌ遺骨報告書を入手し、記載94体を戦前の論文と照合したところ、カタカナ絵本「明治44年 花咲じい」を副葬品とする子どもの遺骨番号もあった。葬られて数年でしかない子どもの遺体を、無断で墓から掘り出している。

 旧帝大などが研究目的として墓地から無断で発掘した遺骨について、12年以降、北海道のアイヌ民族からもともとの地域のアイヌ団体に返還するよう求める訴訟が相次ぐ。当初拒んでいた北海道大は各返還訴訟で和解、返還に応じる姿勢に転じている。それ以前でも、北大は約千体の遺骨の保管状況を説明し、白木の箱に収めて納骨堂をキャンパス内に建て、慰霊祭を行っている。京大の対応とは対照的だ。

 国会は08年にアイヌ民族を先住民とすることを求める決議をし、国の有識者懇談会は、各大学が遺骨を返還することや尊厳ある慰霊をする配慮を提言した。文部科学省は保管状況を各大学に報告させ、京大も12年にアイヌ人骨保管状況等調査ワーキング報告書をまとめた。だが、京大広報課は、昨年文科省に遺骨の数を94体から87体に修正した理由も含め「問い合わせには応じない」という。

 京大報告書によると、内訳は樺太アイヌが56体、根室市や網走市など北海道アイヌが38体。

 発掘当時は日本領だった南樺太での発掘は清野が手掛けている。いま北海道のアイヌの人々は、遺骨の子や孫だと特定できなくても「発掘した場所のコミュニティーへ返すべきだ」と、少数民族の権利運動として返還運動を展開している。

 その意味で、京大は北海道各地のアイヌ団体へ、そして、現在のロシアとの国境線に関わらず樺太アイヌの人々に、遺骨を保管していることを伝えるべきではないのか。「樺太アイヌ語」を母語とする最後の話者は1994年に亡くなり、一人もいなくなった。でも日本人は誰でも一言だけ、樺太アイヌ語を知っている。「トナカイ」は樺太アイヌ語だ。

 清野ら京大医学部の人骨調査についての戦前の論文、紀行などをさらに調べると、京大が人骨に整理番号を付けていたことが分かる。日本の領土が拡大するにつれて、遺骨の収集エリアも広がっている。アイヌや沖縄の人が墓地を掘り返したり人骨に触れたりすることに抵抗を感じているのに発掘した例が書き残されていた。

 あなたの祖父や祖母が、番号を付けられ大学の研究材料にされているところを想像してほしい、と北海道で出会ったアイヌの人たちはいう。

 清野たち京大医学部はなぜ、人骨を収集したのか。明治以降の日本は国境を拡大し、「外地」「内地」という言葉ができた。少数民族の人たちも、併合した朝鮮の人たちも、台湾の山岳少数民族も、「日本帝国臣民」になった。

 日本民族とは何か、いつから、どこに住んでいたのかは政治的にも思想上も、重要問題だった。清野は、古代にアイヌ民族の土地を日本民族が征服し奪ったのではなく、枝分かれする前は同じ「日本原人」だったとの説をとなえ、時代の寵児(ちょうじ)になった。そのために科学が動員された。

 「適者を適所に置いて、その能力を発揮せしむるのが、差し当たって大東亜共栄圏を開発するに有効な手段である。之れが為には、優良民族に保護を加えて、其人口を増加せしめて開発を促進すべきである」(日本人種論変遷史、44年)。この清野の言葉は、民族の優劣を付ける優生学であり、ナチスを生んだ土壌につながるのではないか。

清野コレクションから、樺太アイヌのものとみられるマキリ(小刀)=大阪府立近つ飛鳥博物館所蔵
清野コレクションから、樺太アイヌのものとみられるマキリ(小刀)=大阪府立近つ飛鳥博物館所蔵
【2018年1月20日掲載】