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74年ぶり“里帰り”

エビルトリック・スマングさんの写真を四女のイサベラさんに手渡す竹下さん(バラオ・コロール市)=NPO法人「愛未来」提供
エビルトリック・スマングさんの写真を四女のイサベラさんに手渡す竹下さん(バラオ・コロール市)=NPO法人「愛未来」提供

城陽の女性携え帰国、日本統治下パラオの写真

 日本の委任統治下のパラオで暮らした高橋シゲ子さん(1912~2004年)=城陽市=が戦火をくぐって日本に持ち帰った写真が、今夏の本紙報道をきっかけに74年ぶりに再び海を渡り、写っているパラオ人3人の子孫らにこのほど届けられた。「母にとって大切な人たちだったはず」と手掛かりを求めた四男の正則さん(69)=同=は感激している。

 写真は、日本が南洋庁を置いて委任統治した時代の社会や人々をとらえている。現地に写真館を構えたシゲ子さんの叔父が撮影したとみられるものもある。1929~44年に同国に暮らしたシゲ子さんは、亡くなるまで大切にしていた。

本紙報道が契機、子孫ら探し手渡す

 パラオなどと交流しているNPO法人愛未来(佐賀市)の竹下敦子理事長(72)が、8月の記事で知り正則さんに連絡。現地訪問の際、関係者を探した。

 ベラウ国立博物館に写真を持ち込み、うち1枚に写るのはマリア・ギボンさん(1917~71年)と分かった。民俗学者土方久功(ひじかたひさかつ)にパラオの言葉を教えたほか、同国に赴任した作家中島敦の小説「マリヤン」のモデルになった女性だ。10代半ばで単身海を渡ったシゲ子さんに対し、やはり10代半ばの32~34年に東京の女学校に留学した。

 マリアさんについての著書がある日本語教育研究者の河路由佳さんによると、「日本語や英語に通じ、日本人にパラオ料理を振る舞った、いわば外交官」。戦後に教壇に立った小学校では日本の歌や手遊びを教え、葬儀には国民の約2割に当たる2千人が参列したという。

 竹下さんは、マリアさんの次女で女酋長のグロリア・サリーさん宅を訪れ写真を手渡した。母の写真が日本で大切にされていたことに驚いていたという。

 「パラオ美人 花子さん」とシゲ子さんが裏書きしていた写真を見て、グロリアさんは「イサベラにそっくり」。会いに行き、「花子さん」はエビルトリック・スマングさんと分かった。

 竹下さんによると、イサベラさんは四女。母が29歳で亡くなったとき、まだ5歳だった。「自分の若い頃の写真かと思った」と母の面影を自分に重ねたという。ほか男性1人の身元が分かった。

 正則さんは「長い年月がたっており、関係者が次々に見つかるとは思わなかった」と竹下さんらに感謝する。

 本紙ホームページへの掲載を台湾のパラオ研究者が見たのをきっかけに、ベラウ国立博物館から写真寄贈の依頼もあった。正則さんは来年1月、シゲ子さんが恋しがった同国に初めて足を運んで託す。都合が合えば子孫にも会うという。

母マリア・ギボンさんの写真を受け取った次女のグロリア・サリーさん(パラオ・コロール市)=NPO法人「愛未来」提供
母マリア・ギボンさんの写真を受け取った次女のグロリア・サリーさん(パラオ・コロール市)=NPO法人「愛未来」提供
高橋シゲ子さん(左)と一緒に写る日本名「花子さん」。エビルトリック・スマングさんと分かった。
高橋シゲ子さん(左)と一緒に写る日本名「花子さん」。エビルトリック・スマングさんと分かった。
シゲ子さんが持ち帰り、マリア・ギボンさんと分かった写真。マリアさんは1932~34年に日本の女学校に留学、中島敦の小説「マリヤン」のモデルともなった。
シゲ子さんが持ち帰り、マリア・ギボンさんと分かった写真。マリアさんは1932~34年に日本の女学校に留学、中島敦の小説「マリヤン」のモデルともなった。
【2018年12月22日掲載】