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(7)10年前に失明した視覚障害者

やっと行き交う一人になれた 点字と優しさ信じ前進
人波の中。点字ブロックに沿って京都駅ビルの南北自由通路を歩く松永さん(京都市下京区)
 白いもや越しの視界に新しい京都駅ビルを見た。黒っぽい壁面から何かが飛び出しているようだった。未来都市のような長い階段。脳裏に残る最後の映像の一つになった。
 三十五歳から目の前に白いもやがかかり始めた。ゆっくりゆっくりと濃くなる。雲の中を歩むようだった。京都市西京区の松永信也さん(五〇)が視力を失ったのは一九九七年。四十歳だった。
 昨年九月、JR京都駅からふるさとの鹿児島県阿久根市に向かった。卒業から三十八年、小学校の同窓会に参加するためだ。駅員の手を借りて三回乗り換え、八百九十二キロ。阿久根駅。海からの潮の香りが満ちていた。
 「節子か」「元気でよかった」。懐かしい声。手を握り、互いを確かめ合う。同級生との再会の喜びをかみしめた。
 「元気に社会参加できるようになった」。視力を失ったころは外を五歩歩くのも怖かった。
 小学四年で、網膜色素変性症と診断された。悪化すれば失明もあると言われた。だがその後は目立った進行はなかった。  京都の児童養護施設に就職した。家族と暮らせない子どもたち。夏休みにはその子たちを連れて、京都駅から鈍行列車に乗って旅に出た。「僕らがかかわることで、少しでも大変な状況の子どもに笑顔を灯(とも)せた」
 病状の進行、おびえ。目が見えなくなることより、視力を失ってどうやって生きていくのか想像できなかった。失明寸前まで働いた。
 退職。歯磨きがうまくできない。食卓の皿をひっくり返してしまう。「何もできない」と感情的になる自分がいた。情けなくなった。一年後。京都ライトハウス(北区)が歩行や点字の読み書きなど視覚障害者への訓練を行っていると知った。訓練の最終段階で、京都駅を一人で歩いた。
 通行人に尋ねて階段を上り、南北自由通路を行く。いろんな方向からざわめきや足音が交差して聞こえる。人波に緊張する。白いつえで点字ブロックの位置を確かめる。足裏の触覚も頼りだ。少し行っては止まり、歩む。八条口に到着。自分を拒んで立ちはだかるようにぼんやりと見えた巨大な駅。「ようやく行き交う一人になれた」
 見えないとはどういうことか。小学校で講演もする。府視覚障害者協会で生活環境改善部長。協会は今年から、京都駅など市内の全駅の点字サインの表示内容や張り方の調査を始め、交通機関や行政などに要望する。
 「駅で呼びかけ無視されることもある。だが必ず誰かが助けてくれる」。人間の優しさを信じている。「これからも京都駅からいろんな場所に出かけて行きますよ」

【2007年8月17日掲載】