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美感都市のまちづくり戦略
京商訪欧団同行記

上> ベルリン
ベルリンの都市開発のシンボルの一つ、ソニー・センター(ポツダム広場)
 「新生ベルリンの発展に貢献できてうれしい」。伊藤裕ソニーヨーロッパ社長の言葉は自信に満ちていた。「ベルリンの壁」が1989年11月に崩壊して新しい都市開発が始まったベルリンで、同社はそのシンボルともいえるポツダム広場に本社ビルを含む複合商業施設「ソニー・センター」を建設、都心のにぎわいを創出している。

 ポツダム広場は、1920年代には人口が500万人に達したベルリンの中心地として栄えた。しかし、61年にベルリンの壁ができると冷戦の緩衝地帯となり廃虚と化した。壁崩壊後、ドイツを代表する企業、ダイムラークライスラー社がポツダム広場再開発に名乗りを上げ、次いで日本のソニーが隣接地でまちづくりに乗り出した。

 2001年に約1000億円をかけて完成したソニー・センターは、2万6500平方メートルの敷地にオフィスや映画館、レストランなどの機能を持つ。99年にオープンした「ダイムラー・シティ」の規模はその約5倍あるが、隣接地ではいまもホテルやオフィスなどが入る「バイスハイム・センター」の建設が進む。

 また、東に広がるライプツィヒ広場でも05年に向けて80億ユーロをかけて大規模開発が進行中。この一帯では世紀を超えてベルリン市のホットな都市空間が誕生し続けている。市都市開発局のアーミン・ロイ氏は「周辺部では個人所有が都市開発の妨げになっているが、壁の周辺は市の所有地なのが大きい」と話した。

 ポツダム広場が開発のシンボルなら再生の典型は99年に約400億円をかけて完成したドイツ連邦議会新議事堂「ライヒスターグ」だ。

 1894年に建てられたこの建物は戦後、ソビエト軍の攻撃を受けたまま放置されていたが、議場のちょうど上に高さ23・5メートル、直径40メートルの巨大なガラス張りのキューポラを頂く新旧一体の施設に生まれ変わった。屋上は議会開会中も公開され、市民や観光客でにぎわう。

おしゃれなブティックやレストランが人気のハッケーシャー・ホーフ(ミッテ地区)
 また、旧東ベルリンでも中庭のある集合住宅が商業、文化施設として再生している。ミッテ地区のハッケーシャー・ホーフは1907年に建設された八つの庭を持つ大規模住宅だが、95年から約60億円をかけて2年がかりで改修され、ファッションやアートの情報発信拠点として再評価されている。

 ベルリン市は統一後、4年がかりで市全域の用途地域計画を見直し、「Bプラン」と呼ばれる個別の都市計画や市民参加のルールなどを決めた。「都市は人が住み、働く場所である」という大原則に沿い、都市機能のバランスを最優先している。アナルイーズ・シェーン市都市開発局部長は「魅力あるまちづくりで若者たちを引きつけたい」と話した。


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