─映画評─

「太陽の少年」


<京都みなみ会館で公開中>


 大人になって、青春時代を振り返る。ずしりと重い生命力の実感はある。だが、記憶の中の経験や風景といったらどうだ。ある時は原色に輝き、ある時はベールをまとい輪郭さえはっきりしない。真実と、繰り返す回想が生んだ幻の世界が混ざり合い、自分だけの映画を作り上げている。

 中国の新鋭チアン・ウェン監督の「太陽の少年」は、こんな主観的な記憶の世界を美しいカメラワークで映像化する。私的な映画のはずが、世界で、青春時代を通り過ぎた多くの観客の心を酔わせてきた。真っ正面から主人公を抱きとめる、疾走感のある初恋物語は、一九八〇年代初めに冷めた女子校生活を送った私にさえ甘酸っぱい思いを追想させる。この奔放さ。中国では一年間上映禁止になった。

 七〇年代半ば、毛沢東による文化大革命さなかの北京が舞台。文革期の青春映画と聞けば、理想に燃えているか、内省を強いるような内容を想像するが、そんな厳しさはみじんもない。良くいえばおおらか、悪くいえば無茶苦茶のやりたい放題。青年層は農村に入り、大人は政治闘争に明け暮れ、空っぽの北京は少年たちの天国だったという。

 当時のウェン監督は主人公のシャオチュン少年と同じく十代半ば。原作者は違うが、少年はいわば監督の分身だ。文革当事者だった大人にとっては苦渋の過去も、彼にはノスタルジーあふれる思い出の宝庫だ。映画では太陽は焼けるほど熱く、青空は恐ろしいほど青く、一方、少年が思慕し夢破れる年上の女性ミーランは、匂(にお)うように美しく光の中に描かれる。

 数々の男優賞に輝くやんちゃな主人公もいいが、このミーランがいい。日本の若い女優の基準からすれば太めの体格だが、命を育む大地のような肢体がまぶしい。気位が高く、なぞめいて、捕まえたと思えばすり抜ける娘のしたたかさを体現する。失恋の失意は、そのまま青春時代が終わったことへの痛みだ。そんな思いを共有できる新しい世代の中国映画が登場した。

(井上 理砂子)




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