Kyoto Shimbun 1998.9.5
悪を描かず テレビ時代劇衰退
 視聴率のせい
 読売テレビ 鶴橋康夫ディレクター

 三十五年間ドラマ演出ひと筋の読売テレビ(東京支社)の鶴橋康夫ディレクターは、昭和五十八年「仮の宿なるを」(浅丘ルリ子)の芸術祭優秀賞など、受賞作品はちょうど三十を数える。テレビ界随一の演出家だ。五十六年「五辧の椿」(大原麗子)などもあるが、多くは現代劇を撮る。

 テレビは現在の地上波から、やがて多チャンネルのBS(放送衛星)とCS(通信衛星)に移行する。民放局の時代劇の退行を「多チャンネル化への恐怖と個人視聴率の導入にある」と分析している。わけても個人視聴率の動向は、スポンサー側から見れば、テレビが若い層に占有されていると分かれば勧善懲悪を中心に描く時代劇は購買層につながりにくい高齢者向き、と思い始めているというわけだ。「広告主とテレビ局自身の思いこみだ」と。

 視聴率という魔王に支配され続けるテレビジョン自身の、志の貧しさと喪失もある。「視聴率を考えないで文化として番組を作れたはずだし、作るべきだった」という。すべてを視聴率という数字に置き換えてきた。個人視聴率の導入でさらに強まった。平均視聴率が一〇%を割れば切り捨てられる。「娯楽とジャーナリズムが一緒にされて衰退していく」と。

 一方で、時代劇の制作現場の苦渋がある。「時代考証が難しい。電線やビルが見えないロケ地が限定される。社寺などの場所提供も少なくなっている。名人芸の作り手もいなくなっていく」という。衣装、かつら、メイクなどにも、気の遠くなりそうな金と時間がかかるのである。

 日本の役者は兵隊と娼婦と時代劇の役はうまい、と評されてきた。なのに今「黒澤明さんの『七人の侍』の三船敏郎さん、志村喬さん、加東大介さんがいますか。木村功さんならいそうでも、あのニヒリズムは持っていない」「旬(しゅん)といわれる小顔のはやりのタレントがまげを付けて大菩薩峠やっても、SFを見てる感じになる」。映画界もテレビ界も役者を育てられなかったつけ、と。

 時代劇が描く悪は、自分の悪をも含めて人間の悪と向き合わないともの足りなくなる、と指摘する。たとえば、「松本清張さんが書いてきたのは内部告発の悪です。内部告発するということは、人間の悪に正対することです」。「水戸黄門や大岡越前は、それ以上の開拓はないが生き残った。今後、時代劇が魅力的な人間悪を前面に押し出してきたら、突破口になるかもしれない」と話している。