Kyoto Shimbun 1998.10.28 気になるリポート

「区境界凸凹な」ワケ

 四条烏丸は下京? 中京?

 今月上旬、街路樹のせん定が始まった―という記事で、場所の写真説明を書こうとして、はたと困った。四条烏丸って、中京区? 下京区? 地図をめくると、あれえ、まっすぐ四条通で線引きされてないじゃない。この辺り、区の境界が凹凸に入り組んでいる。先輩記者は「そんなの知らないの」とさげすんだ顔つきだけど、私には分からない。どうして? 

(社会部 松田規久子)



 室町後期にルーツ
 山や鉾の母胎分断せず

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 烏丸四条交差点に立って、地図を開くと、交差点の北西は中京区、でも北西角の歩道は下京区。ややこしい。あとの三方は下京区。だからどうということもないが、新聞記事で住所、行政区を間違うのは、とんでもないことなのだ。

 ちょっと東に歩くと、四条通の北側に面してデパートがある。住所は下京区だが、新人記者はしばしば「中京区」と勘違いしてしまう。

 「宅配便が普及し始めたころは、荷物が届かなくて困りましたよ」と、自動車・バイク修理店主は笑った。修理店は四条通の北側に面している。「宅配業者が四条の北は中京、南は下京と決めてかかって、店の住所が見当たらなかったようですよ」

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四条通のこのあたりは、右も、左も下京区(下京区四条西洞院)

 ふつう、行政区の境目は、大きな道路とか、川とか、わかりやすいもので設定されている。だから、新人記者や宅配業者が勘違いするのも分かる。実際は、四条通北側に並ぶ都市銀行も下京区、かと思えば新町通北東角にある仏具店一軒が中京区。こんな調子で、木屋町通から大宮通近くまで、下京、中京区の境界線は凹凸が続く。

 これだけ入り組んでいて不便はないのだろうか。下京区の時計店の主人は「私らは慣れてしまいました。大阪から来たお客さんは『なんで中京区やないの、おかしい』と不思議がられますけど」と、事も無げに話す。

 四条通から少し北に歩いて、中京区に。ところが「下京区錦小路通油小路東入ル」の古い看板が目に飛び込んできた。地図で確かめると、やっぱりここは中京区。なんだか看板が「違うよ、ここは下京」と自己主張しているように見えてきた。

 なぜ、行政区の境界線にこんな凹凸があるのだろう。一八七九(明治十二)年に上京、下京両区が成立、一九二九(昭和四)年に上京、中京、下京の三区になるが、このときの境界線がすでに凸凹している。

 京都市歴史資料館をたずねると、研究員の貝英幸ささんがナゾを解いてくれた。「室町時代の終わりごろから、道をはさんで出来てきた両側町の形が、今も残っているからですよ」

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中京区の街角で、
こんな古い看板 
を見かけた   

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 応仁の乱後、治安が悪化したため、町衆は通りに木戸を設けて通行を管理するなど、町内の結びつきを強めた。その両側町の境界線をたどると凹凸になる。その後、豊臣秀吉が京の都市改造で短冊型の町割りをした時にも、この町は以前のままの形で残る。

 さらに、昭和の下京、中京区の境界決定の際も、町の形は残った。「行政側にも、古くからの町を分割するなんて考えは、まったくなかったのではないでしょうか」と貝さんは推測する。

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 これらの町の中には、祇園祭の山鉾町が含まれる。長刀鉾町、函谷鉾町の町域は、四条通の南北に及ぶ。行政区は下京区で、北側の町域が中京区との境となっている。祇園祭山鉾連合会に電話すると、こんな答えが返ってきた。「祇園祭は昔から下京の町衆の祭り。行政区は関係ありません」

 インターネットの中で、京の区界のなぞに迫るホームページに出くわした。こんなことが書いてあった。「分かりやすいからと道路を区界に設定してしまうと、町は分断され、山や鉾の母胎そのものがなくなってしまう」。やっぱり、同じ思いの人はいるのだ。

住んでたら慣れる



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