実家は代々、元園部藩主

 機械いじり、ギターに明け暮れ


 小出 英典さん(小出家14代当主・東京都)


 園部藩の歴史を意識することは、ほとんどなかったですね。小出家は元の藩主ですが、父の英忠は東京生まれ。代々の言い伝えのようなものは、父から何も聞かされませんでした。父もあまり先祖のことは知らなかったのではないでしょうか。

 泉州岸和田(大阪府)の小出家から但馬国出石領(兵庫県)を継いだ吉親が、江戸時代初期の1618年、国替えで園部藩初代藩主になったそうです。両親が刀やかぶとを虫干ししていたのを覚えていますが、園部文化博物館に寄託しました。

 家では今も正月に神式の儀式があり、今も昆布を四隅に置いて何やらしていますが、私ではその意味するところがわからないのです。

 空襲で東京の家を焼かれた東京出身の父が先祖ゆかりの園部町に疎開。戦後、園部高定時制の教員になりました。私は園部で生まれ育ち、学校で「殿様の子孫」と言われたこともありますが、気にしませんでした。

園部町小桜町にあった実家に帰省した英典さん(右)。中央は父で13代の英忠さん、左は母公子さん(1972年8月)

 父が農業に詳しく、戦後の食糧難の時代はサツマイモやジャガイモなどをつくりました。ニワトリを飼育して卵を採り、淇陽学校の裏にマツタケ狩りに行きました。

 幼いころから機械いじりが大好きでした。母の実家は京都市下京区の仏光寺。一緒に里帰りすると、近くの寺町で部品を買ってもらうのが楽しみでした。鉱石ラジオを組み立てたり、アンテナを立ててアマチュア無線局を開局しました。

 小向山で同級生の田中正夫君らとよく遊びました。野球にローラースケート、自転車なども楽しかったですね。今よりもよく雪が降り、竹で作ったスキーをしました。  八木町のスキー場にも行きましたが、リフトがなく、1回すべると1時間ほど歩いてようやくまた上がったものです。

 園部中に入学してからは音楽も好きになり、自宅でアンプを付け、エレキギターを弾きました。実家は園部高の前で、300坪。竹やぶが隣接していたので、大きな音でも近所から文句は言われなかった。グループサウンズ世代なんですよ。

 大学進学、就職で東京に移り住みました。父も宮内庁に転出。園部を離れました。その後、小桜町の実家は手放し、残念ながら園部に行く機会は、現在ではありません。

 しかし、今なお山々に囲まれたあのまちの風景は、忘れられない懐かしい場所なんです。(2004.10.17 掲載)

 こいで・ふさのり  1949年生まれ。江戸時代に園部藩主を務めた小出家の14代当主。父の疎開先だった園部町小桜町で生まれ育つ。園部小、園部中、園部高卒。東京に移り、武蔵工業大卒。日野自動車入社。主にエンジン開発を手がけてきた。東京都武蔵野市在住。

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