疎開児童らにお話会

  戦後は青年団活動に情熱


 竹岡 勝美さん(軍事評論家・東京都)




 私は、亀岡市北町の料理旅館「丸屋」の次男として生まれました。板前さんに連れられ愛宕山にお参りしたり、近くのスキー場で遊んだり。楽しい思い出ばかりです。  

 大学に合格したが、肺結核で吐血。東京から戻って療養しました。戦争末期で、京都市内から子どもが疎開中でした。西町の大円寺など疎開先でお話会を始めました。グリム童話、雨月物語の怪談にみな、かたずをのんで聞き入ったものです。

 亀岡国民学校(現亀岡小)で敗戦の前後、臨時教員として6年男子を受け持ちました。古希に近い彼らとは、今も「桜が岡会」として年1回の旅行を楽しんでいます。お話を喜んでくれた高等科2年の女子も毎年6月の誕生日前後に、楽々荘に招いてくれます。

 大学生ころ、友人の妹と京都市の円山公園でデートしました。暗くなるまで話していると突然男が現れ、「この非常時に」と殴られました。男は川端署の刑事。戦前は「男女席を同じゅうせず」とされていましたが、あまりに乱暴な対応です。

ふるさと亀岡で、かつて眺めた山々を背景に立つ竹岡さん(8月11日・亀岡市河原町)
 戦後、後に市議で活躍する曽我部町の故岩崎幸雄さんらと青年団を復活。馬路町の長林寺で、男女の代表が2人ずつ泊まり込みで活動計画を話し合いました。トンネルに入った山陰線の真っ暗な列車の中、今の妻の手を握って結婚にこぎつけました。戦中の重苦しさから解放され、楽しかったですね。

 大学卒業後、警察庁で民主警察の発足に人生を賭けました。東京・銀座の歩行者天国、スクランブル交差点などを考案。信号機や横断歩道増設で年間2万人の交通事故犠牲者を、7年後に半減することに成功しました。

 岡山県警本部長として警察官の老人ホーム慰問や、白バイ諸君にも故障車の積極的手助けを呼び掛けました。「警察が見違えるほど親切になった」と言われました。改革の原点は、円山公園での警察官の対応です。

 防衛庁では自衛官の定年延長など、処遇改善に努めました。

 今、有事立法が検討されています。しかし「有事」といわれるような国土が焦土と化すような攻撃がありうるのか。私自身、防衛庁時代に有事法制研究に携わりました。

 冷戦後、旧ソ連侵攻が想定された当時とは事情が違います。むしろ、仮想敵国をもたない日本をめざすべきでしょう。警察庁、防衛庁出身者として、それらの組織に愛情をもつ者として、安易な立法化に反対するのが務めだと考えています。(2002.8.25 掲載)

 たけおか・かつみ  1923年亀岡市生まれ。亀岡尋常高等小、旧制京都三中(現山城高)、第三高校を経て東京帝大入学。京都大卒。警察庁に入庁。鳥取、岡山県警本部長など歴任。防衛庁に移り、官房長。京都三中・山城高同窓会東京支部長。元大阪府警本部長の四方修さんは実弟。東京都在住。

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