美しい水生む緑の国

  特性生かし学者村整備を


 川勝 平太さん(国際日本文化研究センター教授・長野県)




 口丹波は、上桂川から淀川を通じ瀬戸内海、太平洋につながる「美しい水を生む緑の国」です。口丹波は、滋賀や大阪を含めた「グレーター(大)京都」の奥座敷です。

 水の流れが多くの木材を京に運び、都を造営しました。たとえば南北朝時代の光厳天皇が京北町の常照皇寺を開いたとされるのも、口丹波と京とが一体だから。偶然ではないのです。

 川勝家は、八木町に近い亀岡市旭町の出身です。曾祖父・光之助は初代府会議員として、亀岡~園部間の鉄道を開通させた田中源太郎らと口丹波のために尽力しました。

高校時代、父弘さんと毎週のように愛宕山を登った。向こうに亀岡市内を望む(京都市右京区)
 さかのぼれば川勝家は大陸からの渡来人の秦氏の中心の一族です。秦の始皇帝のころ、中近東から中国を経て来たものとにらんでいます。

 父・弘が進学のため京都に出て、私自身は京都市生まれです。しかし、父のふるさと口丹波への思いは強く、幼いころは盆と正月に必ず、旭町の実家に一緒に帰省したものです。

 祖父の誠之は旭町で造り酒屋を営み、「旭鶴」という銘柄の酒を醸造していました。私が帰省するとお猪口に銘酒を注いでくれます。小学生のころですが一度、どんどん空けていったら15杯までいきました。

 「なかなか飲めるやないか」とにこにこ上機嫌の祖父の傍らで母が心配そうに見守っていたのを覚えています。イギリスにも留学しました。しかし、今でも日本酒がいちばんですね。

 高校時代、父と毎週のように愛宕山に登りました。2人で黙々と山道を歩きました。今、思えば父は亀岡の実家に帰りたかったのです。しかし、すでに父の弟が家を継いでおり、頻繁に行くわけにはいかなかったからでしょう、父は山の合間から亀岡方面を眺めて「あっちが丹波やなあ」と懐しさにあふれた表情でつぶやいていました。

 私も、いずれは口丹波に住みたいと思います。老ノ坂を越えれば、勤め先の国際日本文化研究センターと京都市立芸術大があります。近く京都大の桂キャンパスも研究を開始しますし、流れは「東から西へ」なのです。もともと、東山に名刹が多いのも僧侶が西山の美しいたたずまいを眺めたいからかもしれません。

 口丹波に世界レベルの研究者が住めるよう学者村整備をすすめてはいかがでしょうか。きっと緑と水の美しいが研究をはかどらせると思います。(2002.9.15 掲載)

 かわかつ・へいた   1948年京都市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了。オックスフォード大博士。早稲田大教授などを経て現職。小渕首相の有識者懇談会「21世紀日本の構想」で分科会の座長も務めた。専門は比較経済史。主な著書に「文明の海洋史観」など。長野県軽井沢町在住。

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