富本村で先生に淡い初恋

  スイカやトマトに舌鼓


 川勝 主一郎さん(関西ラグビーフットボール協会副会長・京都市)




 ラグビーと映画の演出は、本質が同じです。いかにその場の雰囲気をつかみ、答えを出せるか。花園高でラグビー部を指導しながら俳優業も続ける中、痛感しました。

 ノーサイド直前、花園高は、伏見工高にリードを許していました。一九九一年の全国高校ラグビー京都府予選決勝です。ボールを手にしたのが、亀岡中出身で主将の大籔正光君(現トヨタ自動車)。高校日本代表でも主将を務めた好選手です。

 一瞬の判断で、逆転トライにつながるパスを出しました。華麗なプレイの陰にあるのは、日々の泥臭い練習です。勝利のうれしさの中、ふと口丹波を思い出しました。

 祖父・米太郎が富本村(現八木町)で役職についていたらしく、その縁で京都市から富本尋常高等小(現富本小)に転校。3年まで在学しました。青戸地区は川勝姓ばかり、「隠居」「母屋」などと区別していました。

ラグビー部員を指導する川勝さん=右=京都市中京区・花園大グラウンド
 転校直後、坊ちゃん刈りが珍しがられ、さっそく散髪です。夕方に青年団のおにいさんが散髪の合図でホラ貝をボー、ボーと低く鳴らしました。神社近くの寄り合い所には、しばらく私の髪が保管されていました。

 峠の向こうから毎朝、紫紺のはかま姿で日傘を差し、砂利道を歩いて登校されていた故広瀬英子先生の姿が強く印象に残っています。目がぱっちり、男子児童のあこがれでした。後ろをぞろぞろついて登校しました。

 一度、足の届かない自転車で転倒。右眼の上がぱっくり割れ、現在の南丹病院に運ばれ、馬の毛で縫う大けがをしました。広瀬先生から自転車禁止令が出ましたが、通院が大変。こっそりだれかの自転車を借り通院しました。

 富本村はスイカの産地。朝、友だちと畑に忍び込み、カラスがつついたようにスプーンで穴を開け、試食です。トマトも失敬、大堰川で冷やして食べました。あのふたつの味は忘れられません。うまかった。

 秋には「猪子(いなこ)のぼたもち」という風習がありました。収穫後の晩、「いなこのぼた餅、ほーい」と言いながら、稲わらで激しく地面を打ち鳴らします。シーンとした暗闇にビーンという音が鳴り響いていました。私たち子どもも参加したように思います。

 あの自然の中で遊び回った一つひとつの思い出が心の豊かさ、ゆとりにつながっているのは間違いありません。(2002.10.6掲載)

 かわかつ・しゅいちろう  1931年京都市生まれ。立命館大卒、滋賀大専攻科修了。俳優として「部長刑事」などに出演。大映で勝新太郎、市川雷蔵らと同期。花園高監督として全国大会準優勝3回。京都府ラグビーフットボール協会理事長、花園大監督も兼務。京都市在住。

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