The Kyoto Shimbun
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許されぬ歴史の改変 史跡の再検証 実施を

社会報道部・佐藤知幸
佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝わる地。人知れず存在し、訪れる人も少ない(京都市東山区)

 4月から、市民版で「中村武生さんとあるく洛中洛外」を月4回、金曜日に連載している。歴史地理研究者の中村武生氏(41)と、街中に歩き埋もれた歴史を掘り起こしていくという内容で、これまでに直江兼続の屋敷推定地や、京都御苑内にあった豊臣秀吉の城などを紹介した。中村氏の絶妙なテーマ設定のおかげで、読者の歴史への間口を広げているようだ。

 今月8日付紙面では、渋谷街道(東山区)にある「佐藤兄弟の墓」を取り上げた。別の目的で建てられた石塔が、源義経の忠臣として知られる佐藤継信・忠信兄弟の「墓」とされた伝承地だが、さらに明治期に佐藤与之助(政養)という人物の手によって、「一族の墓」として改変されていった事実を浮き彫りにした。

 794年の平安遷都以来、京都は1200年の歴史を誇る。中村氏は「京都に史跡があるのではなく、史跡の中に京都がある」と、歴史都市・京都の意義を説明する。それだけに京都には、人知れず存在する由緒地が数多く存在する。

 だが、人が長く営みを続けてきた土地には、歴史的事実以外にも、伝承やいわれ、伝説といったものが澱(おり)のように積もる。小野篁(たかむら)が閻魔(えんま)の補佐をしていたとか菅原道真の飛梅伝説など、その一例だろう。冷静に考えて、現代人にとってこうした事象が事実とは、言い難い。

 とはいえ、伝承は伝承として許容されるべきとも思う。「牛若丸が座った岩石」を前に、ロマンを感じること、それ自体は間違いではない。問題は「事実ではないことを事実と誤認させる」ことだ。

 坂本龍馬ゆかりの「寺田屋」(伏見区)が、幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失したにもかかわらず、それ以前の「寺田屋騒動」の際に生じた「刀傷」や「弾痕」などを観光客に紹介。指摘を受け調査を行った京都市が、展示の改善を要請したことは記憶に新しい。

 寺田屋の一件は、事実誤認を呼び起こす顕著な例だが、こうした事例は「いくつも存在する」(中村氏)という。確証のない「伝承やいわれ」に対して反証可能な史料があるにもかかわらず、きっちりとした改善を行うことなく、見て見ぬふりをし続けることは、歴史に対する裏切りともいえる。

 また、最も不幸であることは、歴史に興味を持ち始めた子どもたちや観光客に「事実でない歴史的事実」を植え付けてしまうことだ。その後に誤りを知らされたところで、歴史への不信感を芽生えさせるだろうことは、いなめない。

 こうした誤解や事実のねじ曲げを解消するには、伝承と事実とを切り分ける重層的な歴史認識が不可欠だ。とはいえ、一般の観光客が、史跡にある案内板の誤りを指摘することは不可能に近い。寺田屋の焼失は、研究者には周知の事実だったという。ならば、研究者は改めて史跡の検証を行うべきだろうし、歴史観光都市・京都にも真実を伝える責任が求められる。加えて伝承をうのみにして報道するマスコミのあり方も問われているのだろう。

[京都新聞 2009年5月19日掲載]

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