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梅原猛さん逝く 飢えた猛獣の「霊」受け止めよ

文化部 樺山聡
梅原邸に今も掲げられている自筆の書。庭の四季をおおらかな文字でしたためている(京都市左京区)
梅原邸に今も掲げられている自筆の書。庭の四季をおおらかな文字でしたためている(京都市左京区)

 「霊がふるふる受け止めよ」。大書された軸が梅原猛邸の床の間に掛けられていた。「九十猛翁」と揮ごうがある。卒寿記念展覧会のために書いた。通説に果敢に立ち向かった哲学者らしい、形式にとらわれない大胆な文字。代表作「隠された十字架」や「水底の歌」で聖徳太子や柿本人麻呂の怨霊に耳を澄ませた学問信条をしたためたと思われるが、祭壇に遺影が掲げられた部屋で対面すると、「俺の霊を受け止めろ」と現世に訴えているように見えた。

 1月に93歳で他界された後、東山の麓にある邸宅を訪れた。和辻哲郎がかつて住んだ築100年以上の家。西田幾多郎が思索したことから名付けられた「哲学の道」からも近い。庭には池。つくばいの音と鳥のさえずりが響く。

 「すごいところだねえ」。東日本大震災後にテレビの対談で東京から訪れた批評家、東浩紀さんが緊張した面持ちで語っていた映像が頭をよぎる。ましてや凡人にとって、まるで絵に描いたような哲学者の住まいは、たとえあるじがいないとはいえ、敷居をまたぐのをたじろがせる。

 邸宅のありようが示す通り、梅原さんは「京都学派」の系譜にあった。その上で伝統に敢然と立ち向かい、破壊もいとわなかった。その一方で、ユーモアがにじむ人でもあった。わが子を百貨店に忘れた。左右違う靴を履いた、などなど。家族や近しい人々が語る逸話の数々は、愛すべき人柄を思わせた。

 学問で奮った荒々しさと矛盾するかに見える一面だが、実は同じ根から発するものだったのではないだろうか。

 東北大の学生と下宿屋の娘の間に生まれたが、両親は結婚を許されず、母は出産後間もなくして亡くなる。「私生児」として優しい伯父夫婦に育てられるが「無限に暗い闇」が心の奥にあることを生前明かしている。ぽっかり開いた虚無の穴を埋めるものとして学問を選び、もがき、名をはせた。でも「創造」に終わりはない。常に飢えた猛獣のように遠い獲物を追った。直観も動員して大きな仮説を得て、「怨霊」の恨みや無念に耳を澄ませ、埋もれた真実を探し求めたから、身辺のことは目に入らなかった。それが周囲には「奇人」と映った。

 強烈な光を放った「梅原日本学」は、生みの親を失った。より冷静な目で評価され、批判されて磨かれていくのか。それとも、独創がゆえに特別視されていくのか。

 不思議なことが起きた。梅原さんの口述筆記を長年支えた編集者、西川照子さんに取材している時、「おでこの辺りに…」と西川さんがこちらの額を見ながら驚いた顔をした。梅原さんの影が動いたように見えたらしい。梅原さんが神がかって語る瞬間を何度も目撃した「女房役」は「今も梅原がその辺にいるように思えて仕方ない」と笑った。梅原さんの妻ふささん(90)も同じようなことを語った。

 「霊がふるふる受け止めよ」。怨霊を受け止め続けた梅原さんの「霊」は、精魂込めた自身の学問の行く末を知りたいと、今も地上をさまよっているのだろうか。

[京都新聞 2019年6月5日掲載]

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