千年の歴史を持つ京都には、たくさんの風雅で奥深い文化があります。和菓子もそのひとつです。食べておいしく、見て美しく、その背後には豊かな歴史や人々の暮らしが息づいています。さまざまな菓子舗を切り口に、京都の歴史や文化、街の表情を探っていきます。
今回のお菓子

<お店>水田玉雲堂 京都市上京区上御霊神社鳥居前 TEL:075(441)2605 <菓子>唐板(からいた)
春の日射しに穏やかにたたずむ上御霊神社
水田玉雲堂の店構え。あたりの風景にしっくりとけ込んでいる

 上京区、上御霊神社。住宅街の中ほどにあり、境内では学校帰りの子どもたちが遊んでいたり、制服姿の中学生がおしゃべりをしていたりする。毎年5月には例祭がいとなまれる。すっかり人びとの生活の場にとけこんだかのような佇まいだが、「ここは西陣の氏神さん。昔は例祭の盛り上がりもすごかったもんです」。門前に建つ菓子舗・水田玉 雲堂の主人、水田勝之さんは振り返る。

 この店もひっそり目立たない構え。「からいた」と書かれた木の看板も思わず見落としてしまいそうになるが、創業は文明9年(1477)の老舗。第2次大戦までは神社境内に店を構え、茶店を営みながら看板菓子「唐板」を焼いていたという。

《菓子の原型のような》

唐板。鉄板の焼き跡がおもしろい

 唐板は素朴な薄い焼き菓子。名前は上御霊神社の祭神のひとり、吉備真備に由来する。真備は遣唐使で中国大陸に渡った奈良時代の学者。帰国の折、大陸のさまざまな文物を持ち帰ったが、その中に大陸の菓子も含まれていた。唐板も奈良時代そのままかと思えるような、たいへん古風な菓子である。

お茶とゆっくり頂くとほっこりする味

 上白糖に水を加え、鍋で炊いて飴(あめ)状にする。これに小麦粉と少量の卵を混ぜ、餅(もち)をこねるように練ってゆく。鏡餅くらいに練り上がったら、今度は手打ちそばの要領でのばす。1.5ミリくらいの薄さにまでのばし、短冊形に切りそろえる。鉄板にごま油をひいて、両面 を手早く焼き、やわらかいうちに形を整える。できあがりは淡いきつね色。表面 に鉄板の焼き目がつき、水玉模様のアクセントを作る。

 食べると、さくっと歯ごたえがあり、うっすら優しい甘味が広がる。見た目と同じで、食べた瞬間の味も控えめだが、おだやかな甘さがふわっと残る。決して主張する甘さではない。ほのかにただよう甘さである。姿がおかきに似て甘味を思わせないぶん、この後味は新鮮である。「おもしろいな」と思ううち、3枚4枚はすぐ食べられてしまう。さらっと乾いた表面がまたいい。

《日々変わる表情》

 もとは厄よけの菓子だったといい、材料も作り方もごくシンプルだが、365日同じものを作り続けるのは簡単ではない。「毎日同じ作り方で作っておったら、毎日違うものができてしまいます」。日々、できあがりは全然違う。晴れか曇りか、暑いか寒いか。温湿度でもずいぶん変わる。材料の状態も季節で異なる。日々同じものを売ろうと思えば、それらによる変化の幅をすべて把握する必要がある。「どんな状態で作っても、同じゴールに行き着けるようにね」。

 数字や機械の好きな水田さんは、先代から店を継いだとき、日々のできあがりの差をデータにとり、数値化しようと試みたという。可能ならそれで機械化を、とまで計算していたそうだが、「想像以上にデリケートでした。変数が多すぎる」。たとえば砂糖ひとつとっても、単に甘味だけの要素ではない。生地のねばり、固さや焼き上がり、すべての過程に影響している。あまりに微妙で「人の手以外ではとても作れるもんやなかったです」。結局、今でもすべて手作業。砂糖を炊きだしたら数時間、まったく手を止める暇がない。先代のとき「唐餅」という餅を売ったこともあったそうだが、「唐板と両方ではたいへんすぎて」最後は、唐板だけに落ち着いたという。

 この一帯は「西陣」の東端。戦後もしばらくはほとんどの家が和装にかかわる仕事をし、たとえ旦那さんが別の職でも奥さんは家で手機(てばた)を織る、そんな家庭が普通だったという。道を歩けば織り機の音が響いた。だがいまは、西陣に仕事を持つ人のほうがまれ。それでも、「唐板」の味はそのまま。近所の人が自転車でやってきては、「おやつに」と袋入りを買っていく。疲れて帰ってきた後に、ほうじ茶でもいれてパリパリと食べる。それだけでゆったり気持ちが落ち着く味。小さな子たちのおやつにも似合う。

上御霊神社界隈。昭和30年代までこの道を牛馬が歩いていたという
神社の前に立つ「応仁の乱勃発地」の石碑
 境内で唐板が焼かれていた上御霊神社は、実は「御霊」の名があるとおり、祀られている八柱の祭神の多くが、平安時代に事件に巻き込まれ、罪なくして亡くなった人びとである。785年、長岡京造営時の藤原種継暗殺事件の黒幕とされ、獄中で亡くなった早良親王、また842年、伴健岑の謀反に連座した罪で捕らわれ、配流中に亡くなった橘逸勢など。一緒に祀られる火雷神も、実は太宰府で亡くなった菅原道真だともいわれる。室町時代には裏手の「御霊林(ごりょうばやし)」で畠山政長、義就の軍勢が衝突、その後10年あまりにわたって続く「応仁・文明の乱」が勃発した。数奇な歴史をおさめたまま、いまは神社はひっそりたたずむ。「唐板」のほんのりやさしい甘さが、歴史の波間に消えた人びとをそっと慰めてくれればと思う。

これまでに紹介したお店
塩芳軒  ・とらや ・鶴屋吉信 ・いなりや ・俵屋吉富 ・粟餅所・澤屋 ・末富 ・御洲濱司・植村義次 ・鶴屋弦月 ・芳治軒 ・鶴屋寿 ・先斗町駿河屋 ・一和 ・菱屋 ・おせきもち ・川端道喜 ・老松 ・桂飴本家 養老亭 ・能登掾 稲房安兼