Kyoto Shimbun 1997.9.27 第2部 現代家元考

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冒険できる強み発揮

 「千から伊住(いずみ)に改姓した時、学生時代の友人たちから『それ芸名か?』って不思議がられましてね」

 京都市上京区の茶美会(さびえ)文化研究所。2階吹き抜けのモダンな事務所で、同研究所代表の伊住政和さん(38)は、13年前を思い出し笑った。裏千家15代千宗室家元の二男に生まれ、結婚して一児をもうけたのを機に、千家の慣例に従い改姓した。

 三千家の改姓の慣例は江戸中期、家元制度を確立した表千家中興の祖・如心斎が病床で、息子に書き残した一子相伝の「言置」に由来する。

 今も表千家家元の蔵に保管されている美濃和紙に書かれた文書には、裏千家、武者小路千家の両家元との申し合わせとして▽千家を名乗るのは三千家だけにとどめる▽二男、三男は別家させて堺姓を名乗らせ、家紋の独楽(こま)も使わせない−など、五カ条にわたって記している。

  伝統と現代との出会いを目指し、プロデューサー
  として次々と新しい試みに挑戦する伊住政和さん
  (茶美会文化研究所)

 戦前は二男、三男は養子に出ることが多く問題なかったが、戦後は民法改正で改姓して一家を興すには家庭裁判所への審判請求が必要になった。

 戦後の改姓第1号は、千宗室裏千家家元の弟で、淡交社社長の納屋嘉治さん(71)。1959年、結婚と同時に三千家家元の判を押した申立書に、「利休は初め納屋与四郎と称した」(堺市史)などの史料を添えて提出。学者の林屋辰三郎、中村直勝両氏が審判で歴史的背景を説明、半年後に認められた。

 「意外だったのは、裁判所が千家の慣例で改姓したいという理由より、千を名乗ることで家元や若宗匠と誤解され、出版業の取引上、過大評価され不利益や損害を被ることが多いとの理由に理解を示してくれたことです」と、納屋さんは振り返る。

 納屋さんの改姓が先例になり、その後、先祖と伝わる小野妹子にちなんだ池坊専永家元の弟・小野専芳さん(59)、利休の出身地・泉州堺からとった千宗左表千家家元の弟・左海祥二郎さん(52)らの改姓もスムーズにいった。伊住さんは利休ゆかりの和泉と中国の古典から自分で命名した。

二男ゆえに家興し

 伝統の型の継承者としての制約がある家元、若宗匠と違い、二男は新しい時代に対応した伝統の普及へ冒険できる強みがある。

 伊住さんは茶の湯のもつ総合文化を現代生活にいかす商品コンセプトの立案や空間開発のプロデューサーとして幅広く活動する。

 第一線で活躍するデザイナー、建築家や京都の陶芸家、漆芸家らによる伝統と現代の出会いの茶会、茶美会「然」(92年)、「素」(93年)を東京で開催。94年には京都で展示と映像、トークによる「数寄の都−京都未来空間美術館」展を開き、従来の茶会のイメージを変えた。

 「利休は従来のパターンを超え、時間と空間を短縮させた時、世界観が変わった。今の家元たちは家を守ることで精いっぱい。新しい人たちと伝統文化の可能性を探るのが僕の役割」と伊住さんは話す。

 出版活動を通じて日本文化発信にかける納屋さん、北山会館で茶の湯普及に取り組む左海さん。伝統の継承者である家元とは一歩離れた所で、伝統文化の現代普及へ、わき役たちの果たす役割は大きい。



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