Kyoto Shimbun 1997.9.1
(7) 創造 

 新京都駅ビルを人々の暮らしが包む。
 今、新しい町づくりの鼓動が聞こえ始めた

町づくりにも追い風に

 6月末の木曜日の夕方。京都市下京区の崇仁屋内体育施設三階の会議室に、崇仁まちづくり推進委員会のメンバー18人が集まった。将来の青写真を描くため、熱心な論議が続いた。

 窓から、新京都駅ビルが見えた。「堂々としている。こっちも負けられん」。同委員会リーダーで、崇仁学区自治連合会会長の奥田正治さん(54)=下京区=の胸に、そんな思いが込み上げた。

 崇仁地区は、京都駅の東側。1,300世帯・3,100人が暮らす。遠いところでも、駅から歩いて10分ほど。奥田さんたちに、駅は身近で親しい。「旅行に出かけても、電車が京都駅のホームに入ったら、もうわが家に着いた気分になる」

 1950(昭和25)年の秋。深夜、駅舎が燃え上がるのを見た。次の日、小学校から帰ってもまだ燃えていた。怖かった思いは、いまも忘れられない。

 まちづくり推進委員会は、昨年7月に発足した。「土地利用」「高瀬川」「施設」の三部会がある。高瀬川の流路変更や散策路の設置をはじめ、地区を福祉、住宅、商業などのゾーンに分けて整備を検討している。今年11月に計画を仕上げ、京都市に提出する。

 新京都駅ビルには、百貨店や劇場、ホテルなども入る。「駅で楽しむ」魅力が新たに加わり、多くの人を引き寄せる。

 奥田さんは「駅ビルは、町づくりの追い風になる」と言う。人が集まり、行き来し、交流する町にしたいからだ。

もっと活気づく

 「駅ビルから洛東の観光地を目指し、この町を歩く人が増える。河原町通や塩小路通などの商店街も、もっと活気づくはず。町づくり計画では、駅ビルの効果も視野に入れている」


 家族連れが、ゆるやかな高瀬川に足を浸し、緑の散策路で憩う。「町のシンボル」旧柳原銀行で、町の歴史資料の展示に人が集まる。そんな光景も目に浮かぶ。

 奥田さんが、クリーニング店を構えたのは、23歳のとき。30代後半のころ、店を兼ねた自宅が、市の住宅地区改良事業の範囲に指定された。

 いつまで、ここに住めるのか。他所に移ったら、商売はどうなるか。「ここを離れたくない」。将来に不安を覚え、生まれ育った町のこと、今後の暮らしのことを考えた。町づくりに奔走する原点になった。

 「駅ビルが脚光を浴びる今が、新しい町を形づくっていく好機。住民全員の力を一つにし、いい町にしたい。必ず実現させたい」

魅力ある町模索

 南区の東岩本町、南岩本町、北河原町、南河原町。「東九条四カ町」と総称されることが多い。この町では今、市の「東九条福祉地域まちづくり計画」が進む。

 東九条改善対策委員会会長の岡本茂里さん(47)=南区=。京都駅八条口から、東へ500メートルほどのこの町で、駅ビルの新生を見つめてきた。

 「駅ビルは京都のシンボルにはなる。でも、ここが追求しているのは、住民が安心して暮らせ、人として生きる町。駅ビルがどんな役割を担ってくれるのか、まだわからない」

 町には古い木造住宅が多く、住民の高齢化と合わせて、深刻な問題になっている。火災などの防災環境や福祉面での課題も残り、住民と市が新しい町の模索を続ける。  「住んでいる人が、魅力を感じられるところにしたい。将来は、駅ビルに負けないような町に。それが夢」

 駅ビルの周りには、人々の暮らしがある。崇仁と東九条。生まれ変わった駅ビルと歩みを重ねるように。二つの町に新しい風音が聞こえてくる。

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