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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

京の年越し 2

終い弘法(下)

山本良雅さん

 21日の「弘法さん」は、東寺では「御影供(みえく)」と呼ぶ。承和3(835)年3月21日に入寂した真言宗開祖空海(弘法大師)の命日。

 大師の坐(ざ)像が東寺不動堂北側、御影堂(みえいどう)(大師堂)に祭られてから毎月、月命日に御影供が行われるようになった。延応2(1240)年のことという。時代は下り室町時代。この参拝客を相手に、同寺南大門門前の屋台で、茶を商う人があり「一服一銭」と称したという記述(東寺百合文書)から、これが「弘法さん」の起源とされる。

 「確たる資料があるわけではないですが、今のような市(いち)の形態となったのは、江戸時代ごろと、お寺に伝わっています」と説明するのは教学・文化部長三浦文良(48)。お寺とはもともと関係なかったが、滋賀から通える私学ということで選んだ洛南高校が、東寺との縁の始まり。

 「高校時代から、弘法さんの手伝いをしました。なにより、よくこんなに人が来るなあと、びっくりしました」と思い返す。この縁日のにぎわいも、もともとは、弘法大師への信仰に発する。

 「この信仰が、市の背景にあったからこそ、こんなにも長く続いてきた」と確信する。弘法さんは、単なるフリーマーケットではなく「聖と俗とを併せ持つ市としてあり続け、お大師さんとともに、を実感できる入り口になれば」と思う。

 宝物館を担当する文化財保護課長山田忍良(49)も思いは同じだ。

山田忍良さん(左)と三浦文良さん

 弘法さんになると、大師堂南面で講の人たちと、信者への護摩木の配布や受け付けを行う。講の人と参拝の人との交流を見るにつけ「信仰に支えられた市だなあ」と、つくづく思い知らされる。

 「朝の法要の時には、僧侶と一緒になって一心にお経を唱える信者の人たち。1日中絶えることのない家族の健康をひたすら護摩木に託す姿に、庶民信仰の原点を見る思いがする。御影堂の前と後ろで、実にさまざまなお大師さんへの信仰があります」と山田。

 今年の終(しま)い弘法が5回目の体験という文化部主事山本良雅(36)。市の余りの大きさもそうだが、さらに驚いたのは、宗教性の濃密な弘法さんならではの雰囲気。「御影供の法要でお坊さんが唱えるお経を、信者の人までがみんな、唱える」

 ただ、弘法さんの在り方に、今後工夫がいると思う。

 「昔のようにおじいちゃん、おばあちゃんに連れられ、お寺に来るということがなくなってしまった。この市を若い人がお寺に来るきっかけに、できないか」と山本。

奥野克己さん

 「弘法さんは、京都と特に宗教というものが軸になって、人をひきつけている」と語るのは、エジプトなど中東の市をテーマに研究する京都文教大助教授(中東の社会人類学)奥野克己(53)。10年近く前からたびたび学生たちを連れ、弘法さんを訪れている。

 「青空の下で百万円もする骨董(こっとう)品がある」弘法さんに度肝を抜かれつつ、繁盛を極めていく市に思うことがある。

 「人が集まれば集まるほど布教のチャンスといえるが、もろ刃の剣。人は集まっても、宗教とは無縁の人が増えていく可能性も。開かれた縁日とするのはいい。だが、人はいかに生きるかなど、一段と、宗教本来の性格を強く打ち出していく必要があるのではないか。もちろん、縁日に来る人たちの意識もまた問われるのだが…」

 弘法大師への強い信仰を背景に生まれ、誰もが知る市として、今日まで続く弘法さん。この21日、思いもさまざまな人々を引き寄せ、今年最後のにぎわいに沸く。(敬称略)

[京都新聞 2006年12月19日掲載]