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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

京の年越し 4

終い天神(下)

中野忠雄さん

 北野天満宮の歴史的な大イベントとして知られるのは、太閤さん(豊臣秀吉)の「北野大茶湯」。天正15(1587)年、境内の松林で、全国の数寄者に参加を呼びかけた大茶会だ。この時「千五、六百軒の数寄屋茶屋が並んだ」(淡交社刊「京都大事典」)といい、これが祭神菅原道真の命日、毎月25日に開かれる現在の「天神さん」の縁日のにぎわいに、遠くつながる。

 「ただし、その後も今のような露店がメーンではなかった。もともと、奉納されるさまざまな芸事や見せ物が主流で、境内でのこうした興行に集まる参拝客をあてこんで、次第に食べ物などを供する露店が集まってきた」と市(いち)の変遷を推測するのは、禰宜(ねぎ)梶道嗣(44)。

梶道嗣さん

 天満宮とは縁の深い家の生まれ。幼少のころから天神さんに親しんできた。水滴(すずり用の水入れ)やラーメン用の丼を購入し、天神さんで骨董(こっとう)品を買う面白さを知った。「それにしても、私が小さいころはフリーマーケットのような古着屋とか、骨董品屋とかが、こう多くはなかった」と思い返す。

 歌舞伎踊りの創始者といわれる出雲阿国(いずものおくに)は、北野を興行拠点にしたといわれている。芸事とはゆかりの深い地で、その伝統か、近年になっても、天神さんでは見せ物や落語、曲馬とか、サーカスといったものが主流だった。ただ「戦後にオートバイの曲乗りの事故の後、見せ物が許されなくなり、今のような露店中心の縁日になった」と梶。こうして、さまざまなものが売り買いされる弘法さんと並ぶ市になった。

 大阪出身で15年前に天満宮に奉職した権禰宜中野忠雄(40)。広報対応に追われるが、天神さんのにぎわいは格別だ。「天満宮に来たころ、珍しいからと巡回に出かけたんですが、面白くてねえ。神主さんも一つどや、なんて店の人から声かけられたり、なかなか帰れないんです。立場を忘れて一日楽しめる。すごいもんだなあ」と実感した。

今井貴美子さん

 終(しま)い天神や正月の初天神になると、現在は千を超える店が並び、参拝者は15万人以上に及ぶ。この人出に、天満宮の中は、神職も事務職も関係なくてんてこ舞いの1日となる。神楽奉納の受付を担当する事務職員の田村鎮子(26)も例外ではない。「迎春用の授与品もあるので、夕方まで、息つく間もないです。人の列をみて、こんなに人がいるものかと目がくらむ思い」。今年もそんな一日が近づいてきた。

 天満宮と深いつながりのある門前の街でも、天神さんの時には、多忙な一日となる人がいる。

 「室町時代、天満宮造築の際、残った用材で茶屋七軒を建てたのが、この花街の始まり」と、天神さんとの切っても切れない間柄をいうのは、上七軒のお茶屋おかみ今井貴美子(57)。

田村鎮子さん

 西陣の生まれ、母の里で祖母が開いていたお茶屋を継いだ。子供のときから、天神さんは遊びの場でもあり「何も思わないうちに、無心に手を合わしていた」不思議な場所。その気持ちは、成長するに従い強くなっていった。

 上七軒の花街自体が、天満宮の行事に今でも深くかかわるが、今井は個人的に祭事の世話役を担う。毎25日には「皆燈講」のテントで、朝から献灯の受付に座る。ほぼ一日、参拝者の対応に追われるが、最近訪れる人たちの様変わりに気がついた。

 「案内所と思わはるのか、骨董市はどこと尋ねる人が多い。主客転倒もはなはだしいどすやろ。すぐ近くなのに、わざと本殿前を通るコースを教えるんです」と今井。

 時代は変わる。しかし、せめて天神さんに手を合わせてから、終いの縁日を楽しんでほしいと、思う。(敬称略)

[京都新聞 2006年12月21日掲載]