メニュー
 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

京都検定 2

もてなしの心育てる

武内裕哉さん

 京都観光・文化検定試験、通称「京都検定」の人気は、ちょっとした社会現象ともいえる。だが、もともと大向こう受けを狙ったものではなかった。3回連続で1万人もの受験者が詰め掛け、しかも、京都府外からの人が半数近くを占める現実は、事業にかかわる人たちの想像を、はるかに超えていた。

 「もてなしの心や観光知識を高めようという、主に京都商工会議所の会員向けに構想したものだったのです。こんなことになろうとはねえ」−。同商議所観光運輸部会の部会長福永晃三(67)の感慨だ。

 今から4、5年前のこと。すでに京都市の「観光客年間5千万人構想」が打ち出されていた。同商議所でも、平成10(1998)年に観光サービスを向上させようという組織ができており、観光活性化へ、どうすればホスピタリティー(親切なもてなし)が可能になるかなど、さまざまに意見が交わされていた。

福永晃三さん

 福永は、仕事先の海外でヒントをつかんだ。「ロンドンでは、道に迷ったりした観光客に、市民が気軽に声を掛けてくる。なぜなのか、彼の地の観光協会で聞いて分かった。市民が、自分たちの街をよく知り、誇りを持っている。小さい時からの地域教育なんですよ。そうか、京都でも、自分たちの歴史や文化、伝統を学ぶ機会をつくれば」−。このひらめきが、部会の中で「検定」という形に練り上げられていく。

 「京都に住んでる人、働いている人に京都を、正しく学んでもらえば、温かいもてなしができる。この思いだけで立ち上がった検定でした」。同商議所総務部副部長の武内裕哉(48)は振り返る。民間企業から再就職したばかりだった。新天地、しかも未知の分野への挑戦。「ほんとにできるのか。どれだけの人が、関心を持つのか」不安の日々が続いた。

 「独自で立ち上げた検定試験だったし、何もかもが手探り。見通しどころか、とにかく何が何でもやらなければ、その一念だけでした」

北村恒夫さん

 テキスト作りから始まった。17人の専門家がかかわって動き始めたのが、2004年の春。第1回の検定試験は、その年末という慌ただしさだった。

 「時間との戦いでしたねえ」と出版を依頼された淡交社の京都編集局長北村恒夫(60)はいう。「材料はたくさんありましたが、出題範囲が広い。中でも、社寺には、先生たちもご苦労されましたよ。由来など諸説あるケースが多く、確認作業が大変だった」と北村。

 それでも夏には出版にこぎつけた。が、トラブルが見舞う。テキストに、誤字脱字も含め多くのミスが見つかり、秋にはクレームが殺到する事態に。

 「とにかく誠実に対応することしかないと思いました。すぐに改訂版を作り、年度内に1万2千部を交換した。本当に勉強になりました」と思い返す。対処が適切だったか、テキストはすでに10万部を突破した。この種の本では異例の出版数を記録し今、図版中心のサブテキストを準備中だ。

河村房江さん

 「3千人も受けてくれれば」という武内らの予想は、今となれば杞憂(きゆう)だった。「京都検定」は新顔ながら、もう京都の年中行事といえる。

 「検定の人気は、確かに京都の奥深い魅力を証明している。ただ、より知ってほしいのは、京都の者はこれだけ勉強して、訪れる人をお迎えしようとしている、その心なんです」と、同商議所の河村房江(40)。京都検定の広報を担当する。

 「試験や関連の講座を通じ、もっと多くの人に京都を知って好きになってもらい、その人の輪が、どんどん広がっていったらすてきです」。京都検定をさらに充実し、定着させたい、と願う。(敬称略)

[京都新聞 2006年2月6日掲載]