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映画の太秦 4 キネマストリート

撮影所と歩んできた風土 次世代も

山本和子さん(左)、明彦さん

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)で有名な広隆寺の向かい。西へ向かう三条通が、京福嵐山線の線路を境に二手に分かれる。南側、やや細い通りが「大映通り」と呼ばれる商店街。街路灯には、映画撮影用のカメラの飾り。道路には、フィルムを模したデザインが施され、近年は「キネマストリート」の名称も。

 そう、中年以上なら「だいえー」といえば、映画! と大半が思い出す。同商店街は、戦後の映画隆盛とともに、大映、松竹、東映という3つの撮影所に囲まれ発展してきた。映画の街の商店街なのだ。

 「早う亡くならはったけど、女優の嵯峨美(三)智子さんからは、専用の赤い鮮やかな塗りの出前箱預かってましてな。届ける料理の品数も多く、俳優さんいうたら、そら豪勢なもんでした」と、映画全盛のころの思い出を語るのは山本和子(77)。松竹京都映画のすぐ北、同商店街の西端で、昭和初期からの料理店を経営する。

 「一時は寂しなりましたが、テレビの『必殺』で、またにぎやかに。役者さんやスタッフだけに使ってもらう専用の部屋もあるんです」。扮装(ふんそう)したままの有名スターが、食事をし、午睡(ひるね)していく。撮影所とともに歩んできた老舗だ。

山本正一さん

 店を継ぐ長男の明彦(52)は、同商店街振興組合の副理事長でもある。同商店街は、15日から始まった映画の街太秦を盛り上げる「シネマフェスティバル」で、1950−60年代の京都撮影所関連のポスター370枚を、16日から各店頭に飾る。「これまでの取り組みもそうだが、映画に関することを打ち上げ花火に終わらないよう、じっくり地域に根付かせたい」と思う。「ここは、映画とは切っても切れない商店街なんです」。

 同商店街で宝石・貴金属店を経営する山本正一(64)。外商で撮影所に出入りしていた縁で、商店街に店を開いた。36年前のこと。東映の「仁義なき戦い」の撮影で、同商店街が、広島県呉市の商店街に早変わりをしていたころだ。今でも山本の店は、テレビや映画のなかの宝石店として、しばしば登場する。

森春生さん

 「東映、松竹の撮影所で、眼鏡や時計など、小物もよく使ってもらうんですよ。最後の協力の字幕でうちの店名が出るもので、よその同業者から、すごいことやってるなあと、うらやましがられます。映画の街にあるからこそのメリットですね」と山本。「どこでも商店街は難しいが、撮影所との関係こそ、大映通りの強み」という。

 映画を前面に、大映通りの知名度向上を目指したのが前理事長の森春生(72)。「12、3年前、映画村で増えた観光客を、何かでこっちに呼べないかと《映画の商店街》を目立たせたい、と考えたんですよ」。キネマスタンプや古い映画を上映する「太秦キネマ」の開設、映画関係の骨董(こっとう)市など、全国に注目される話題を提供してきた。

 「これから、人の呼べる太秦を象徴する映画文化の拠点となるような施設がほしいですね。そうなれば、新しい商売も」と。

中川俊也さん

 後を託されたのが現理事長の中川俊也(48)。電器店の2代目店主、有名俳優が身近で、しばしばロケの行われる映画の街は子供のころから日常だった。「撮影所にも頑張ってもらわないかんのですが、この風土は残さねばと思う」と中川。「直接商売には、なかなか結びつきにくい。しかし、映画関連のスポットがようやく点から線になって映画ファンや観光客にも知られてきた」。「みんなでアイデアを出しあい、映画の街にある特色をうまく取り込んで、時代にあった大映通りにできれば」と、将来を思い描く。(敬称略)

[京都新聞 2007年3月15日掲載]