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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

映画の太秦 5 映像のメッカ再び

若さの風加え 伝統と新技術を融合

冨田美香さん

 セット撮影を行う大きなステージを過ぎると、目の前に年期の入った長屋や居酒屋などの建物が立ち並ぶ。池にかかる橋。たもとには、古い蔵まである。道はすべて土。江戸時代に滑り込んだような錯覚に。広さ1万5千平方メートルもの敷地に広がる、松竹京都映画のオープンセットだ。

 2008年秋、この撮影所の一角に今春スタートする立命館大学映像学部のスタジオが建ち、撮影所とのコラボ(共同事業)も予定されている。太秦の一角から、映像の新しい波動が起こる。

 「日本映画を築き上げたあの監督も、この俳優も、ここにいた。そんな映画の歴史のまっただ中で、映画が学べる。この幸せを味わってほしい」−。声を弾ませるのは立命館大学文学部助教授の冨田美香(40)。7年前、京都に。そして、同学部立ち上げを担ってきた。

野村芳樹さん

 東京で映画を研究。京都の映画が、日本映画発展に果たした役割の重要さに気づいた。「京都での研究は、机上ではなくフィールドワークでできる。街そのものが、映画と密接にかかわっている。第一期黄金期の1920年代を知る関係者さえいて、驚いた」と。「80年前に若い映画人たちが挑んだのと同じように、ここで現代の学生が新しい映像作りに挑戦する。わくわくしませんか」。新事業に、熱い思いがほとばしる。

 「立命館が来て、違う視点や新しい風によって、相乗効果が生まれればうれしい。ここには、マキノ以来、70年もの仕事を通じて伝えられてきた伝統とノウハウがありますから」と、松竹京都映画の取締役映像部長野村芳樹(58)はいう。松竹本社を離れ昨年、京都にやってきた。父親は、「砂の器」など作った名監督野村芳太郎。

森脇清隆さん

 「大船撮影所がなくなって、いまや松竹の映画製作現場は京都だけ。ここから、なんとか松竹の名作を発信したい」との思いがある。「東映と切磋啄磨(せっさたくま)しつつ、ともに新しい技術で映画作りもめざしたい。この時、官学との連携は不可欠」と野村。「この挑戦には、これまでの技術や風土の伝承と同時に、若いスタッフの力が必要。志ある若者に、ぜひこの撮影所に来て、映画作りに加わってほしい。いつでも門戸は開いている」と、呼びかける。

 「50年代には、世界の人が最高といった名画が、京都で作られていたんです。この誇りを知ってほしいのと、その力を、ハイビジョン編集など新しいデジタル技術も取り込んで再び世界に発信することが、これからの京都・太秦のめざすところ」と、京都文化博物館学芸員の森脇清隆(45)。現存する日本最古の作品など788本もの貴重なフィルムを中心に、京都の映画文化の保存とPRに、20年間も携わってきた。「産官学で、京都のすぐれた文化といえる映画を、新しい映像作りに役立てていけたら最高」と話す。

奈村協さん

 「コンスタントに仕事になる点で、テレビは大切。しかし、映画を作らないと次の世代の人材が育たない。撮影所が無理してでもがんばらねば」と東映京都撮影所の執行役員奈村協(58)は強調する。京都で製作一筋。昨年、所長に就任した。「撮影所は、器ではない。そこに集まる人間が支える技術と思想。作ることをあきらめず、人を離さず、人を育てることが財産になる」と信じる。

 松竹との連携は、ステージやオープンセットの相乗り、スタッフの交流で既に始まっている。「京都に、新しい映像に対応する共用のデジタル処理の施設がほしい。これを活用した映画作りを通じ、京都100年の映画の歴史の中で蓄えられた人材の持つノウハウ、技術を、若い人に伝えたい。これで、京都はまたすごい映画を作ることになる」と、言葉が熱い。

 シネマフェスティバルを立ち上げた産官学の連携。これをきっかけに、撮影所を中心にした太秦の、新時代の挑戦が始まった。(敬称略、「映画の太秦」終わり)

[京都新聞 2007年3月17日掲載]