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はる・嵯峨嵐山 2 小倉百人一首の歌碑

自然石と名書の雅 和の文化発信

稲垣繁博さん(右)と西田常夫さん

 保津川が、ようやく流れを緩め大堰川と名を変える左岸、小倉山の山すそが広がる辺り。そこに亀山公園がある。

 時雨殿(しぐれでん)とは目と鼻の先にあるこの公園をはじめ、嵐山東公園、野々宮広場、長神の杜(もり)など周辺約1キロの範囲内に位置する計5カ所でいま、小倉百人一首を一首ずつ大きな自然石に刻んでさまざまに配置、それをたどるだけで雅(みやび)な文化に浸れる空間づくりが進んでいる。小倉百人一首プロジェクトの目玉「歌碑建立事業」。京都商工会議所が主体となって設立した同文化財団が手掛ける。

 「いやあ、よくここまで来ました」と、万感の思いで話すのは、稲垣繁博(45)。同商工会議所の総務部次長で、三年前からこの事業を担当する。

 丸1年かけ、散策ルートをほぼ確定した。しかし、文化庁の許可が下りない。「嵯峨嵐山は史跡・名勝指定地、内容と関係のない歌碑では、誤解が生じるというんですよ」。一からやり直し、だった。

 そしてやっと許可を得た。それが、時雨殿(屋内展示施設)を拠点とし、十の勅撰(ちょくせん)和歌集ごとに分けて建立された歌碑(屋外展示施設)を散策道で巡る、この事業。「百人一首は全くの素人でした。でも、専門家が成功するわけでもない。僕なりの目線の低さを大切に、一般の人も和歌の魅力に浸れるものにしたい」と取り組んできた。

日比野光鳳さん

 歌碑建立事業で書を監修したのは、日展常務理事の書家日比野光鳳(78)。「嵯峨嵐山を訪れる観光客の誰にでも分かり、なお風雅を失わない書。凹凸の多い自然石にどう表現するか、厳しい条件でした」と振り返る。

 歌碑に使われる石は、四国、中国地方、京の鞍馬など全国の石の名所から集められた個性豊かな石ばかり。日本を代表する70人近くの書家が92首を書き、また、本阿弥光悦ら歴史的書家の手になる八首がデジタル復元され、一つの石に一首ずつ、石工が彫りつける。

 「草書や漢字を少なくし、行書を中心とする工夫もしたが、とにかく石工さんの努力がすごい。本当に見事に出来上がった」と、苦労も報われ、日比野は石と書のコラボレーションに満足げだ。

 「巨石、書で浮き上がる歌が、まるでずっと昔からその場にあったように、ここの自然や風景に溶け込むこと。ひたすらさりげなく」と、コンセプトを話すのは、中橋文夫(54)。造園や都市計画が専門の会社の取締役計画部長で、歌碑事業の設計を担当している。

尼崎博正さん

 中橋がいうのは、この事業の総合監修を任され指揮をとる京都造形芸術大学教授尼崎(あまさき)博正(61)が目指すところだ。「嵯峨嵐山の自然と歴史文化的風土に、溶け込みつつ、また新しい風景となる。これまでによくある展示施設とは、ひと味違うものを」−。徹底的な議論をしたと、尼崎は話す。

 尼崎は、文化財庭園に造詣の深い研究者であり、作庭家でもある。「ここは史跡名勝の地として既に文化財的評価を受けた場所であり、空間。これを前提にして、新しい文化をどんな形で表現でき、それが、どう受け入れられていくのか…。私にとっても正念場」。尼崎の挑戦は、続く。

 財団の関係者も思いは熱い。「小倉百人一首プロジェクトは、嵯峨嵐山の地に、必ず新しい魅力を与えるはず」と話すのは同商工会議所の常務理事西田常夫(65)。「かつてここで、日本が世界に誇るかな文化の一つの傑作が生まれた。プロジェクトは、そのことを再認識してもらう発信基地づくりといえる。若い人たちにどんどん来てもらい。日本文化の素晴らしさを味わってほしい」と力が入る。

 一方に、開館一年となった時雨殿、そしてもう一方には歌碑の散策道。今夏、新たな「名所」となるべく、嵯峨嵐山にプロジェクトの両輪がそろう。(敬称略)

[京都新聞 2007年4月10日掲載]