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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

葵祭 2 勅使の列

重い歴史気高く 伝承の苦労見せず

植松雅房さん

 葵祭は、京都の三大祭の中で最も歴史が古い。その起源は6世紀。賀茂社(下鴨、上賀茂両神社)で営まれ、賀茂祭ともいう。平安遷都の後には、皇城鎮護の神社に。皇室の崇敬厚く、九世紀初頭からは内親王(皇女)が斎王として賀茂社に奉仕され、天皇の命令による祭礼(勅祭)となる。源氏物語や枕草子でもおなじみの格調高く、きらびやかな祭り。

 葵祭を代表する祭列は、賀茂祭の折、天皇からの御幣物(ごへいもつ)、宣命などを賀茂社に運ぶための行列で、路頭の儀と称し、また、神社到着後のセレモニーは社頭の儀という。

 「まだ、若うございましたからね。山城使(やましろのつかい)の役で、他には何もなく、ただ馬に乗せていただいた」と初めての体験を思い出すのは、今年、列中最高位の近衛使(このえつかい)を務める植松雅房(69)。昇殿を許された堂上公家の家。華道・松月堂古流の家元を継ぐ。東京が長く、若くして亡くなった父親は祭りに出られなかったが、京都に戻り、同志社大在学中に家元を継いだ植松が、28歳で代々の祭奉仕も引き継いだ。

鴨脚光茂さん

 今回で8回目となる。「馬上から賀茂街道のケヤキに新緑がもえて輝く様をみると、古来、天皇が平安を祈り、生命の息吹を喜ばれたこの祭りの意義を感じます。何としてもわれわれの手で続けようと思いますね」と、植松。

 路頭の儀の四列からなる勅使の列(本列)は、旧公家、下鴨、上賀茂両神社の社家、宮内庁関係の人々が中心に奉仕。代々しきたり通りに執り行う。葵祭が単なるパレードではないゆえんだ。

 「30歳になったら帰ってくると約束して、京都を出たんですよ。大学は沖縄の琉球大。アフリカも放浪したし、青年海外協力隊に入り、南米にも2年間。ちょっとは、家を継ぐ重圧から逃げたい気もあったのでしょうね」と笑うのは鴨脚(いちょう)光茂(46)。下鴨神社の社家で構成する始祖会の世話役。今回の役は検非違使志(けびいしさかん)。77代目当主として選んだ仕事は京都市の小学校教員だった。「社家の血を絶やさず、下鴨神社の御蔭祭(みかげまつり)と葵祭に奉仕する三役は続けねばならない。粗相がないよう、準備や習礼(しゅらい)(練習)も必要です。転勤のあるサラリーマンでは難しい」−。

市忠顕さん

 この3月まで神戸大で化学を教えていた市(いち)忠顕(64)は、上賀茂神社の社家。今年の役は、鴨脚と同じ第一列の山城使。科学少年であると同時に、葵祭前儀の上賀茂神社競馬会(くらべうまえ)神事を身近なものとして育った。学生時代はその騎手として活躍。勅使列先頭を進む乗尻(のりじり)を務めた。今は、5日の競馬会当日に解説も担当する。

 「和鞍(くら)で、走らせるだけでも相当難しい。祭り当日、疾走しながら、ああ、命懸けで伝統を伝えてるって、感じました」。「行列に加わることは、誇りです。幸い長男も競馬に20年以上出て、列にも加わります。大学退職を機に、神主の資格をとり、本格的に祭りに奉仕していこうと考えています」と市。葵祭への関心をもっと高めていきたい。この一環で最近、地元の京都産大で、賀茂競馬をテーマに特別講義も行った。

松室幸雄さん

 第四列の陪従(べいじゅう)を務める松室幸雄(77)。「葵祭がくるたび、ああ、また日本伝統の歌舞を伝えることができたんだ、と感激します」と話す。洛西・月読神社に連なる家で、代々御所に出仕した。明治初年まで御所にあった楽所(京都方雅楽)を受け継ぐ平安雅楽会に所属、ほぼ50年、社頭の儀で奉納されるわが国最古の雅楽「東游(あずまあそび)」の笛や和琴(わごん)を担当してきた。

 「京都では、葵祭と御蔭祭でしかやらない貴重な歌舞。この祭りがなかったら、雅楽会が東游を奏じることは、なくなっていたかもしれない。神様にやらされているんでしょうか」と。今年も7人で奉仕する。

 変わる世相。なのに、重い伝統を変わることなく明日に伝える。そこに苦労は、みじんも見えない。葵の祭列は今年も、気高く晴れやかに賀茂へと進む。(敬称略)

[京都新聞 2007年5月9日掲載]