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葵祭 3 行列支える

化粧、装束、運行仕切り 気概で奮闘

南登美子さん

 御所から賀茂社(下鴨、上賀茂両神社)へ、約8キロの道のりを進む葵祭の行粧(ぎょうそう)。馬上束帯姿の近衛使(このえつかい)(勅使代)を中心とした四列からなる本列、その後には、腰輿(およよ)にゆられる十二単(ひとえ)の斎王代のあでやかな女人列が続く。行列は総勢約500人。長さは1キロほどにも及ぶ。

 15日、36頭の馬、牛4頭、牛車2台、花傘も連なる列は、すべてが葵や桂のほか、花々で飾られ、行粧の言葉通り、その過ぎゆく沿道は、いつしか典雅夢幻の王朝絵巻の世界…。

 この列を、毎年伝えるため奮闘する人たちがいる。

 「私が行かんと、葵祭は動かない、そんな気概で務めさせてもろてます」−。有職(ゆうそく)美容師南登美子(79)。昭和31年に再興された最初から、斎王代列の化粧を担当する。

 「華やかさを出したいということだったんでしょうが、はじめは20人足らずの列でした。猪熊兼繁先生に吉川観方先生といった有職故実、時代考証に詳しい先生方や母のちえと一緒になって、ああだこうだと垂髪(おすべらかし)の長さや化粧を研究しました」と思い出す。

木村佳宣さん

 「時代時代で、お顔もずいぶん変わってきました。まゆ毛は上を濃く、下をぼかす。ほほ紅も目の周りからだんだん薄くしていくなど、優しい顔になってきました。ただ、斎王代だけは、そういうことにも配慮しながら、きちんと平安朝の形に、と心がけています」と話す。「こんなすごいものが、京都には引き継がれてきた。不易ということですねえ。私も次の代へ、ちゃんと伝えたい」。当日は、早朝から12人態勢で対応する。

 本列の衣装や装備品を担当する木村佳宣(60)は冠師から始まった御所出入り装束店の20代目当主。考えてもいない仕事だったという。テニスで知り合った妻の加代子(59)は男の跡継ぎのない老舗装束店の娘だった。「古い家とは聞かされていたが、何の商売かも知らなかった。結局、サラリーマンをやめ先代(政彦)について10年修業しました」。もともと手仕事は好き。装束の名前や種類もわかるようになり、職人さんに各種の仕事を手配するプロデューサー的な仕事も身に付いた。

木村加代子さん(右)と辻良子さん

 「朝廷の公事に着用する正服(せいふく)の束帯を使用したり、葵祭には普段ではできない仕事がたくさんある。仕立ても色目も全く違う。これまで家に伝わってきていることを守ることです。京都を代表する、由緒ある祭りを任されている。緊張しますよ」と木村。

 加代子はもっぱら準備に動き回る。「祭りの前には、御所に置いてある衣装や備品を、役にあわせてそろえ、回廊とか御殿に並べます。祭りが終われば、今度は後かたづけ。家族総出、知り合いにも頼みましてね、てんてこ舞いです」。姉の辻良子(63)とともに、衣装の補修もする。「動物の皮など、現代では手に入りにくい貴重な材料を使った装備品も多い。少しでも長く、と点検と修復を繰り返しています」と加代子。アイロンかけ、のり付けなども加わり、作業は7月まで続く。

三好義雄さん

 賀茂社に進む本列を整然と導くのは、後醍醐天皇の時代から朝廷の重要な儀式に奉仕してきた八瀬童子会。今年も稚児(童子)になる小学生を含め、91人が参加する。

 「童子役は、大変な名誉だった。小学6年の葵祭の前、出町柳までめったに行かない散髪に行ったほど。そのことは鮮明に覚えていますよ」と振り返るのは、同会の会長代行三好義雄(77)。八瀬童子会は、列奉行、副列奉行や列方となって緊張の1日を送る。他の参列者も本列に張り付いて、運行秩序を守る。

 「葵祭で勅使列に奉仕せないかんというのは、昔からのしきたり。6年になったらお稚児さんして、青年になったら列の何かの役をする。こりゃ、いつまでも変わることはない八瀬童子の誇りですよ」と三好。15日の副列奉行としての奉仕を、心待ちする。(敬称略)

[京都新聞 2007年5月10日掲載]