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葵祭 4 裏方さんたち

1万5千本のアオイ 使命感一つに

木村常男さん

 6世紀中ごろに始まったとされる葵祭は、賀茂祭や単に祭といわれた。一方、膨大な量のフタバアオイを飾る風習から、葵祭も古くからの呼称とされる。何度も断絶の危機を越えてきた祭りだが、元禄7(1694)年、江戸幕府の後援と霊元上皇の尽力による復興は、200年もの中断の後だった。アオイは、時の幕府の紋所でもあった。そのせいかこの時から、葵祭の呼称が定着した、ともいわれる。

 今でもアオイは、人といわず物といわず、葵祭にかかわるすべてに飾られる。その数は「祭り全体では1万4、5千本にはなる」=下鴨神社禰宜(ねぎ)平野修保(60)=といわれる。いったい、だれがどこで用意するのか。

 「一カ所から取りすぎないよう気を使う。最近山林は、伐採の問題や土砂崩れで環境が変わり、なかなか育つ環境を維持するのが難しい」。下鴨神社に毎年フタバアオイを納める1人、北区雲ケ畑の高橋宏始(44)は、話をこう切り出した。葵祭になると、5月3日の流鏑馬(やぶさめ)神事に間に合うよう、1週間ほどかけて4500本を届ける。「昨年亡くなった母(玉江)と一緒に、25年前から山に入り採取してきた。5年前に母が倒れ、以来一人で集めているんですよ」と高橋。「サラリーマンで正直つらいが、この務めはやっていかねばならない。環境も変わってきた。これからは決めた場所で栽培することも必要だろう。地元の森林組合とも相談するなどして、実現したい」と。

藤木保誠さん

 葵祭にはアオイ以外にも、旧社領の人たちからいろいろな産品が奉納される。この時期、上賀茂神社に納められるアユもその一つ。梁(やな)漁という独特の仕掛けによる漁法で捕獲され、塩干しされたアユが高島市安曇川町北船木から献上される。

 「しきたりというか、毎年この時期になると、神社から『よろしく頼みます』というはがきが組合に来ますんやわ。もう300年から400年も続いているようです」と北船木漁業協同組合の理事で、梁漁の代表木村常男(58)。「献上するのは3キロ。塩水につけた後、2、3日天日干しして送る。昔は、少しでも早くと大津まで船で運んだといいますが、時代ですね、今では宅配便ですよ」と笑う。

 下鴨、上賀茂両神社にとって、葵祭は最大の年中行事。「早くに亡くなったおやじの年齢に近づき、その苦労が、よくわかるようになりました」−上賀茂神社でこの祭を担当する権(ごん)禰宜藤木保誠(49)はしみじみ語る。社家の生まれ。大学を終えるころ、父保治が亡くなった。

釣部有希さん(右)と小川恵子さん

 藤木は、この父の代わりに上賀茂神社に奉職。父同様、祭りを取り仕切るようになった。「日にちも時間もすべて決まっている。それまでに準備が何もかもきちんと整っていないと祭りはできない。神饌(しんせん)を始めその数は多く、毎年やっているのに、難しい」と藤木。「これまでは、大過なかった。今年もそうできれば」と気を引き締める。

小西伸夫さん

 「境内のアオイがそろそろ咲き始めると、いよいよきたなあと思います」と、下鴨神社の巫女(みこ)釣部有希(25)。大阪出身、京都女子大を卒業して奉職した。「単なる観光パレードではありません。毎年、天皇のお使いの列を厳かに迎える心の準備をします」と釣部。京都産大を出た同じ巫女の小川恵子(25)は群馬県出身。「見た目のきれいさもあるが、国家の安泰を願う祭り。ごらんになる方もこの点を知って見ていただけたら」。多忙さより、祭りの意義が2人の口をついて出る。

 葵祭行列保存会の事務局長小西伸夫(73)は、ひょんなことからこの祭りにかかわった。「宮内庁関係の中根俊彦前事務局長(故人)と、造園を通しての知り合いだった。それで、手伝ってくれないかで始めて、もう6年目に」と話す。「旧お公家さん、両社家、宮内庁関係者…となかなか気も遣います。しかし、何といっても日本、京都を代表する祭りです。スタッフや各部門の方々の協力を得、これからも立派に維持して行きたい」と心がける。

 使命感に満ち満ちた気迫。今年も、こんな裏方の思いが、祭りをもり立てる。(敬称略)

[京都新聞 2007年5月11日掲載]