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五花街合同公演 3 祇園甲部

若き心修業経て一つ 井上流に挑む

市寿々さん

 京都東山の花見小路は、世界に知られる花街祇園甲部を象徴する界隈(かいわい)。その情緒を求める観光客で、石畳の小路は昼間でもにぎわう。桜が華を添える4月の1カ月、その華やいだにぎわいは特別。明治5(1872)年に創始された「都をどり」が開かれ、その舞台となる歌舞練場があるためだ。が、その奥、路地をたどると、浮き立つ華やぎとは対照的、質素な建物が目に入る。「八坂女紅場(にょこうば)学園」。「都の華」といわれる甲部の芸妓・舞妓が、日々厳しいけいこを続ける施設である。

 この女紅場で芸を受け継ぐ若手の芸妓7人が、今回合同公演で上方唄「相模あま」を初めて舞う。

 「五花街の流儀は、みな違い、各花街にはそれぞれ特徴とよさがあるのです。合同公演で、それがよくわかります」と公演の意義を話すのは、甲部の舞「京舞井上流」の五世家元井上八千代。「今回の出番は3番目ということで、人数多く、若い人でやってみようと、相模あまを選びました」と言葉を継ぐ。

井上八千代さん

 「早間の振り、細かい手など、手ほどきものではないんですが、おいどをおろす、ひざを割るという井上流の基本を体に覚え込ませる演目。よく特徴をごらんいただけるのやないかと思います」と。そして「今の若い子にはきついかもしれません。けど、この舞を通して心を1つにして、今後につなげてくれたら。7人は、これからを支える人たちですから」と、若手のがんばりを期待する。

 「2月におけいこをしていただいて、本番に向けがんばらさせていただいてます。ほんまむずかしおす」と話すのは、この7人の中ではもっとも先輩格の市寿々(いちすず)。祇園町の生まれ。祖母は地方(じかた)、母も舞妓で「しんどい世界に飛び込まんでも」と反対された。が、芸事への思いは強く舞妓に。14年がたった。

小富美さん

 相模あまは「ちょっと芸妓の舞とは違います。手数も多いので、まだお師匠さんについていくので必死どす」と市寿々。「けど、これから、自分たちだけでの勝手けいこも重ね、みんなで心を1つにして、まとまりある舞台にしたいと思てます」と、笑顔を見せる。

 「相模あまは、なかなかむつかしいもんで、昔は舞妓さんになる前になろうたもんどした。うまくおぼえられんと、ようしかられたもんどす」と思い返すのは芸妓組合長の小富美(こふみ)。

太田紀美さん

 祇園で生まれ育ったが「舞はあかんな、勉強のほうがまし」と、中学から同志社にはいり、別の世界を歩むはずだった。だが、切れない縁があったか、子供ばかりの舞の会で、ちょっとほめられ、思わず心が動いた。「おばあちゃんの夢」でもあった。結局中学を出て舞妓になった。「合同公演の相模あまは、出演する若い人ががんばってくれて、あんじょういったらうれしおす」と小富美、公演が楽しみだ。

だん栄さん

 「地方も若い人が増え、がんばっておけいこしてはります」と、三味線を主に活躍する大ベテランのだん栄(えい)はいう。祇園町の生まれ、昭和15(1940)年に、芸妓からデビューした。「相模あまは、唄も三味線もむずかしおす。でも、出演する地方さんはきばって勉強してられます。若い間の勉強はよいことと思います。今回の公演はきっと、よい舞台になります」と話す。

 「群舞でのビシッとそろた手の角度、所作、井上流の特徴が出る舞になるはず」と、大きな目を細めて話すのは副取締の太田紀美。生まれた時から、老舗お茶屋の八代目女将(おかみ)になることを宿命づけられ育った。祇園町に通暁する。

 「はんなりした花街を支えているのは、芸妓や舞妓の続ける修業。芸もしつけも厳しおすが、置屋(おきや)が育て、お師匠さんやお茶屋、お姉さん芸妓が舞妓を守るという独特のシステムがあります。こういう点も公演を通じ、知ってもらえたら」と話す。  華やかさと厳しさが相まって輝く合同公演。花街の深さに、思いは至る。(敬称略)

[京都新聞 2007年6月6日掲載]